ユートピア「35話 風変わりな友情」


 夜明け前には砂漠の町へ辿り着いた。
 再会した悪魔の少年たちがふるまってくれた正体不明の肉の串刺しを思い切って齧ってみると意外にもおいしかったので、真吾はありがたく頂くことにした。こんがり焦げ目がついている肉が微かに動いているのには驚いたし怖かったのだが、友達になったばかりの二本角の少年が「それ、新鮮だから」と簡単明瞭に説明してくれたので真吾は素直に頷いた。魔界にもだいぶ慣れてきたようだ。そうメフィスト2世に告げると、彼のほうはそうでもなかったらしく、初めて接する辺境の諸々に真吾以上に敏感に反応していた。
 臆病者扱いされるのが嫌らしく、青ざめた顔でちびちびと齧っているメフィスト2世をみているとちょっと可哀そうになってくる。帰ったらラーメンおごってあげよう。

 メフィスト2世って無鉄砲だけどお坊ちゃん育ちのせいか妙にデリケートでもあるんだよなと真吾は思ったが、殴り合いの喧嘩はしばらく遠慮したかったので口には出さなかった。まだ身体のあちこちがぎしぎし痛む。見事な痣が山ほどできてるだろうな。僕も思いっきり殴ってやったからいいけど。

 今度はなんの障害もなく楽々と洞窟を通り抜け、毒々しい紫色の雑草が生い茂る小道を進むと、空に浮かんだ島々が見えてきた。細くたなびく雲をまとわりつかせて浮遊する島々は、魔界とは思えないほど清々しい。上空、島々の周辺はかなり激しい風が吹き荒れているようで、地上から舞い上がった木の葉がくるくると回転している。
 真吾は呪が込められた薄い金属片を懐から取りだすと、メフィスト2世を振り返った。
「これで密偵のところまで行けって使者が――」
 皆まで言い終えぬうちに金属片が淡い橙色の光を放ちだし、真吾の姿はその場からかき消えた。

 心地よい冷気に、真吾はおそるおそる目を開いた。鈍い光を放つ黒い大理石の床、絵の入っていない額縁、半円アーチ状の窓、そこから差し込む物憂げな光と涼風、部屋の中心には大きな魔法陣が描かれていて、その中で真吾はひとり呆然とたたずんでいた。
「よく来たね」
 背後から聞き覚えのある声が響いた。だがそんなはずはない。真吾は無意識のうちにソロモンの笛に手を伸ばしながら声の主を見た。
「僕の邪魔をしに来たのか、レラジェ」
「なにを言っている。シンゴが私に会いに来たんだろう?」
 真吾は小さな半円型の窓に目をやった。やけに雲が近い、近すぎる。空に浮かんだ島か、興味深い対象だ。だけどいまは現実逃避はなしだ。真吾は口を開きかけ、だがなにを言うべきか決めかねてすぐにまた閉ざした。

 レラジェはそんな真吾をおもしろそうに眺めていたが、やがて飽きたのかあっさり事実を述べた。
「私は館の悪魔と懇意にしていてね。密偵役を引き受けたのもそのためだ」
 真吾は再び唇を小さく開いたが、目を左右に素早く泳がせただけでなにも言えなかった。
 レラジェに勧められるまま繊細な装飾が施された椅子に腰を降ろし、出された紅茶に砂糖とミルクを入れて一口すする。ついこの間まで殺し合いをしていた悪魔とティータイムか、ちょっとかっこいいな。暖かい紅茶が胃におさまると、ようやく頭と唇が滑らかに働きだした。
「逆五芒星を作ったあの人間と契約してるんじゃなかったのか」
「年がら年中べったりしてるわけじゃないさ。私には私のやり方がある。さて、シンゴは無事役目を果たした、もう戻るといい。お仲間が心配してるんじゃないのか」

 人間界では敵対する悪魔だったが、いまこの場では違う。敵どころか味方、同じ陣営に属する仲間だ。言いたいことは山ほどあったが、いま現在は味方である悪魔にあまり失礼な態度を取るのもまずい。そう思う程度の抜け目なさくらいは真吾も持ち合わせていた。
「あなたから受け取るものがあるはずだ。そう聞いてる」
 レラジェはじっと真吾を見つめ、ゆっくりと背もたれに上体を預けた。目には意外なほど柔らかな好意が、口元には憐みの色が浮かんでいた。真吾は無意識のうちに鋭く息を吸い込み、身体を固くする。
「坊やは何事も疑ってかかったほうがいいな」
「どういう意味だ」
「わからないか? 坊やが……いや、悪魔くんがここに来ること、それ自体に意味があったんだよ。今回の坊やの行動は、館の悪魔の敵対勢力にある事実を告げている。つまりそれはなにかというと悪魔くん、君は館の悪魔側についたと魔界中に宣言したも同然なんだよ。それが事実かどうかは大した問題じゃない。とにかく、大多数の悪魔にそう思わせたことが重要なんだ」

 真吾はぎゅっと唇を引き結んだ。小さな窓から吹きつける風が癖のある髪を乱していった。
 なるほど、そういうことか。魔界の事情に疎い僕にわざわざ依頼するのもおかしな話だと思っていたよ。僕はまんまと踊らされたわけか。でも僕のほうも館の悪魔の軍勢を利用し、見えない学校を守ったんだからお互いさまか。
 いつまでも黙ったままの真吾にレラジェは首を小さく傾げ、人差し指で顎先をすっとなぞってから言った。
「少し助言しようか。前から思っていたことだがね」
「……せっかくだから、聞くよ」
 あまりいい態度とはいえなかったが、真吾はぶっきらぼうに答える。レラジェは気にした風もなく続けた。
「坊やはもう少し自分の立場をわきまえて行動すべきだな。少し頭を冷やせ。坊やは確かにメシアかもしれん、誰よりも賢いかもしれん。だがまだねんねだな。館の悪魔は坊やを過小評価していない。保険をかけて置きたかったんだろうな。こんな小細工など必要ないくらい、戦力には歴然とした差があった。館の悪魔の勝利は最初から決まっていたことだ。坊やが知らなかったのも無理はないがね」
 レラジェの言葉の裏を探ろうとしてみたが、嘲りも策略の色も感じられなかった。真吾は戸惑いを隠せずにレラジェをじっと見つめる。
 僕はまだなにか見落としているんだろうか。それともこれはある種の風変りな友情なんだろうか。

 逆五芒星の件についてなにか聞き出したかったが、この状況ではフェアじゃない。そう思っていたのだが、意外にもレラジェのほうから話を切り出してきた。
「ところで、私がいま契約している人間のことだが、坊やはどうするつもりだ? このまま戦うのか」
 真吾は目を伏せ、考え込んでから答える。
「当然だ。僕はあの男を止める。彼を普通の人間に戻してあげるんだ」
 レラジェは薄く笑った。
「残酷だな」
 真吾は目を上げた。
「力だけを奪い、あの男が最も嫌っていた平穏な日常とやらに戻してやるというのか。止めるなら最後まで面倒をみてやったらどうだ」
 真吾は首を振った。
「僕は彼を救うつもりだし、場合によっては倒すと思う。でも僕にできるのはそこまでだ。今回彼を止められても、またいつか同じことをするかもしれない。でもそれはどうしようもないことだよ。そうなったら僕はまた止めてみせる」
「意外に冷めてるんだな」
 レラジェの物言いは穏やかだった。だが真吾は勢いよく立ちあがるとレラジェをねめつけた。その拍子に倒れた椅子がけたたましい音を立てて床に転がる。
「じゃあ僕にどうしろっていうんだ。僕は人間の庇護者じゃない。片っぱしからみんなを守って回るわけにはいかないし、第一それは僕のやることじゃないし僕のしたいことでもない。僕に独裁者にでもなれっていうのか? 危険なものはみんな取り上げて、争いのもとはこの世から消して、それでどうなるっていうんだ? そうなったら僕は人類共通の敵になるだろうね。みんなが一致団結してくれればしばらくの間ある意味では平和な世の中になるかもしれない」
 真吾は不思議だった。どうして僕はレラジェにべらべら本音を喋ってるんだ?

 レラジェはゆっくりと頷き、静かに真吾を見た。
「落ちつけよ、坊や。ヴァルプルギスの祭りで坊やを助けたことは誰にも言うなと約束したな。坊やはいまもそれを守っている。喋られてもさほど困らんし坊やもそれをわかっていたはずだ。しかしだからと言ってべらべら話すような馬鹿は私は嫌いだ」
 レラジェはそこで言葉を切った。
 真吾は無言で床に転がっている椅子を元に戻すと、行儀よく座り直した。レラジェの言葉の意味をじっくり咀嚼してから、真吾は微笑んだ。
 僕もこの悪魔のこと、嫌いじゃない。
「助言をどうもありがとう。でも僕は、自分が正しいと思うことを信じて実行する」
「ま、そうだろうな」
 レラジェはあっさり返すと、
「達者でな、シンゴ。次に会うときは敵としてだろう。残念だよ」
「僕も残念だよ」
 それは本心だった。
 お駄賃だよと投げられたコインを真吾は反射的に空中で受け止め、少し迷ってからポケットにしまった。いらないよと言おうと思ったのだが、珍しいものには目がないのだ。王冠を中心に、絡み合った薔薇が螺旋を描いている赤銅色のコインは、コレクションとしてはもってこいだった。


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2008/8/3

今回は真吾くんとレラジェのちょっと風変わりな友情がメインでした! 書いてるうちにだんだんレラジェに愛着が湧いちゃいました……。というわけでレラジェも準主要キャラに……! ヴァルプルギスの祭り〜は、22話のことです。あと、けっこうお坊ちゃんなメフィスト2世もかわいくて大好きです! それから、館の悪魔が真吾くんにわざわざ依頼した裏の理由はこれでした。やっとここまで話が進んだ!