ユートピア「12話 意外な来訪者」


 人気のない校舎裏で掃き掃除をしていると、何かに足を取られた。足元をしげしげと観察したが何もない。首をひねりながら顔を上げると、えもいわれぬ香りが漂ってきた。甘く危険な香り、嗅いだのはつい最近だ。うるさいくらいの警告の音が真吾の中で鳴り響く。僕はこの香りを知っている、確かにどこかで一度嗅いだことがある。だけど一体いつ、どこで? 絡み合った記憶の回路が繋がると同時に、目の前の地面がぐにゃりと歪んだ。飴のようにとろける地面の中心から小さな木の芽が生えてくる。いや、違う。真吾は目を凝らした。これは指だ。それから先は早送りの理科の実験のようだった。ほんの数回瞬きをする間に地面が割れ、そして地の底から悪魔が現れた。窮屈そうに這い出した緑の悪魔は首をこきりと回し、ひたりと真吾に目を合わせた。
「あの饗宴以来だね、シンゴ」
 真吾は汗ばんだ手の平を無意識のうちにズボンで拭った。まずい、メフィスト2世は家で昼寝をしているし、百目は教室だ。
「人間界は意外と狭いな。驚いたよ、こんなところで何をしているんだ?」
 警戒を解くにはまだ早いが、何だか様子が変だ。僕を狙ってきたんじゃないのか? 真吾の頭は目まぐるしく回転し、そして一つの単純な事実に行き当たった。そうだ、この緑の悪魔レラジェは断罪の間には来なかったんだ。だからいまでも僕を悪魔だと思っているんだ。
「僕、急いでるんだ」
 この台詞、確か前にもいったな。この悪魔、こんな状況でなければ面白い奴なんだけどな。でも今は騒動の種になりそうなことはできるだけ避けたかった。取り落としそうになった箒を持ち直し、真吾は踵を返しかける。
「そうそう、今なかなか面白い人間と契約していてね、しばらく退屈せずに済みそうだ」
 完全に表情を消せているという自信ができてから、真吾は振り返った。
 僕は一体何者だ? もちろん、子供の姿をした好戦的で好奇心旺盛な悪魔だ。
「ねえ、それってこの町に逆五芒星を作った人間のこと? ここは僕の縄張りなんだよ。下等な人間なんかに荒らされて迷惑してるんだ。まさか悪魔ともあろう者が、本気で人間に仕えてるわけじゃないだろ?」
 これは賭けだった。緑の悪魔が少しでも感付いたら僕は終わりだ。最近の僕は博打が多すぎるな。反省したいところだけど、それより今は優先すべきことがある。
「私は退屈が嫌いなだけだ」
「そんなことより、もっと面白いことがあるんだ。でも君は邪魔な契約のせいでその人間に手出しできないだろ? だったらさ、僕がその人間を何とかしてやろうか?」
 レラジェの興味を引きたい一心だったのだが、自分でも驚くほど大胆な発言がすらすらと飛び出した。真吾はそんな自分自身にどきりとした。まるで僕の中に違う人間がいるみたいだ。僕は嘘をつくのが、演技をするのが上手くなった。ときどき、この僕こそが本当なんじゃないかと思ってしまうほどだ。というより、僕がもともと持っている性質の一部なのかもしれない。だとしたら、僕は自分自身に対する認識を少し改めなければならないな。
 真吾の提案に、レラジェは少し考え込む素振りを見せた。
「面白いことを思いついたぞ」
 レラジェがこじ開けた穴からするすると蔦が伸びてきて、真吾の足首に絡みつく。
「私はひとまずあの人間の側に付くとしよう。シンゴはその反対側だ。ゲームだよ。ゲームをしよう。空間が歪んでいるこの町はまさに打ってつけの舞台じゃないか」
 真吾は抵抗しなかった。ただ冷たい蔦が身体を這い回るのに任せていた。たいしたことじゃない、例え攻撃されてもさしたるダメージなんてない。そんな涼しい顔に見えていればいいのだけど。今この悪魔に疑いを持たれたら僕はまずいことになる。
「あの人間のところへ送ってやろう。一つ助言をしておくと、契約した悪魔は私だけじゃない。少し見物させてもらうよ。一緒にゲームを盛り上げようじゃないか」
 真吾は心の奥底にある精神の扉に意識を集中させた。異界への門をくぐるのは人間の子供にとって負担が大きかった。いくら真吾といえど、不意をつかれれば意識を保っていられない。願わくは、十二使徒を呼ぶ余裕がありますように。
 レラジェが指を鳴らす小気味のいい音が響いた。ぐずぐずにとろけた地面にスニーカーがのめり込む感触が気持ち悪い。そう思った次の瞬間にはもう、真吾の身体は完全に地中に飲み込まれていた。


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2007/11/28

緑の悪魔レラジェは6話で一回登場した悪魔です。通りすがりの悪魔その一になりそうだったんですが、なぜか微妙に準主要キャラになってきた! 妄想のおもむくままあれやこれや書いちゃってます。そしてまたまた悪魔になりきる真吾くんなのでした。なんだかこのシチュエーションも萌える! 演技とはいえちょっと強気な真吾くんも好きだ!