ユートピア「11話 戦いの予感」


 春とはいえまだ夜風は冷たい。ベランダに頬杖をついて瞬く無数の星を眺めていると、頭上から温かい何かが降ってきた。
「これだけは俺が預かってたんだ」
 今まで幾度となく自分を護ってくれた魔法のマントに再び包まれ、真吾は胸が熱くなった。またよろしくね、心の中でそっと呟く。
「わざわざ取って来てくれたんだ。ありがとう、メフィスト2世」
「ソロモンの笛はファウスト博士が保管しているはずだ。だがな……」
「まだ連絡が取れないんだね」
 メフィスト2世は苦々しげに頷く。
「どっかで温泉にでも浸かってるんじゃねえのかな」
「今度タロットで占ってみるよ」
「ああ、そうだな」
 耳に痛いほどの静寂がやって来た。
 昼間のメフィスト2世の言葉が頭をよぎる。「使徒とはそうやって使うものだ」違うといいたかった。少なくとも、僕は君たち十二使徒をそんな風には思っていないって。「今までも止むを得ない時はそうしてきたはずだ」確かにその通りなのに、相手が人間だから、ただそれだけの理由で僕はためらっているのかもしれない。僕の第一使徒としてメフィスト2世が倒してきた相手はいわば彼の同胞、同じ悪魔族だというのに。僕はメフィスト2世や他の使徒たちの気持ちもろくに考えずにただただ自分にとって都合のいい哀れみだけで迷っているのかもしれない。今まで僕は相手が誰であれ極力戦いは避けてきたつもりだった。だけど今回の事件、もし相手が悪魔だったなら、僕はここまでためらうだろうか?
 あの逆五芒星の男が後悔の涙を流している可能性なんて限りなくゼロに近いことくらい、真吾にも分かっていた。だが逃避だと分かっていても少しの間だけその可能性にすがりたかったのだ。

 少し居心地の悪い、長い沈黙だと真吾は思う。メフィスト2世とは親友のはずなのに、僕は怖くて聞くことができない。どうしてあの時僕を真吾と呼んだんだ?
 記憶の中のメフィスト2世そのままのようでいて、少し変わったような気もする。半年というのは短いようでいて、でも何かが変わるには十分な時間なのかもしれない。今の僕にとっては対等な友達というより、少しお兄さんのような感じだ。
 やっとの思いで真吾は口を開いた。
「これからどうするの?」
「そんなもん決まってるだろ」
 ゆらゆらとマントを揺らして虚空に浮かぶ悪魔メフィスト2世の姿は、この人間の町においてひどく非現実的だと真吾は思う。闇より深い色合いのマントが夜空によく映えていた。
「この前は死神屋だったからな、今度は悪魔くん家のラーメン食おうぜ」
 少しぎこちなかった空気が消え、真吾はほっとする。たぶん、居心地の悪さを感じていたのは僕だけなんだろう。
「僕は不安だったんだ」
 消え入りそうな声で呟くとメフィスト2世は怪訝そうな顔をしたが、何でもないよと笑ってみせた。

 あの逆五芒星の結界。メフィスト2世は何でもないことのようにいっていたが、あれを破るのは容易なことではなかったはずだ。結界によって召喚が阻止された時点で、契約に含まれる義務は果たしていたはずだった。それでもメフィスト2世は相当な負担を覚悟の上で、契約を交わした悪魔としてではなく友人として来てくれた。僕らの間にはあの頃と変わらない絆が存在していた。メフィスト2世は疑いもしなかったし、例え何十年ぶりかに会ったとしても同じなんだろう。だけど僕は不安だった。それは僕が命短い儚い人間だからだろうか。もしかすると僕はみんなが期待してくれているよりずっとずっと弱いのかもしれない。
「みんなもう寝ちゃったよ。もしかして、僕が作るの?」
 冗談のつもりが、そりゃいいやとメフィスト2世は指を鳴らす。参ったな僕お料理下手なんだよと顔をしかめてみせてから、足音を忍ばせて真吾は部屋に戻った。
「なあ、悪魔くん」
 呼びかけと同時に、メフィスト2世は真吾の髪を両手でくしゃくしゃにかき回した。
「もう、何だよ、メフィスト2世」
 毎朝寝癖を直すのが大変な癖毛なのに。乱された髪を撫で付けながら真吾は少しむっとして答える。
「元気出せよ」
 意表をつかれて言葉を失った真吾に、メフィスト2世は懐かしい仕草、ステッキをくるくると回してマントの裏側にしまい込む、あの手品師のような少し格好を付けた仕草をしてみせた。真吾は嬉しくて、同時になぜだか切なくて、ただ小さく頷くのが精一杯だった。

 その晩真吾は再びタロットで未来を覗いた。メフィスト2世は押入れの中で熟睡しているようだ。微かに聞こえる規則正しい寝息に真吾は我知らず微笑んだ。場所を奪われた荷物が部屋の隅に乱雑に積まれている。僕が片付けなくちゃならないのかな。真吾は少しげんなりする。跳ね飛ばされた百目の布団をかけ直してやってから、真吾はタロットの意味を探った。もうすぐ何かが始まる。だけど一体何が? タロットの示す未来はいつも漠然としていて真吾を惑わせた。
 僕の迷いはまだ晴れない。でもそれでも負けるつもりはないんだ。


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2007/11/14

悪魔くんは悩むにしても前向きに悩むよねきっと。真吾くんは元気でいてくれたほうがうれしいな。やっと魔法の風呂敷マントが手に入った! 実は11話目にしていまだにソロモンの笛がないのでした。
ソロモンの笛をいつ登場させるか今めちゃ悩んでます!