ユートピア「6話 悪魔たちの饗宴」


「ここはな、低級な悪魔なんぞいないし、無意味に襲い掛かってくるような下品な輩もいない。だが気をつけろよ。毅然として、隙を見せるな。自分はさも世界の王者であるかのような顔をしていろ、みくびられるなよ」
 着慣れない衣装に、真吾は身体をもぞもぞ動かす。ここでは正装するのが決まりだからと着せられたタキシードの着心地は確かにいいのだが、この手のものは七五三以来で何とも妙な感じがする。初めての蝶ネクタイは首がむずむずするし、走り回るのには明らかに適さない服は酷く肩が凝る。これを着たまま華麗に戦闘までこなしてみせるメフィスト2世って実は凄かったんだな。真吾は感動すら覚えた。
「メフィスト2世、君って凄い悪魔だったんだね」
「何だよいきなり、んなもん当ったり前だろ」
 目を輝かせた真吾に手放しで褒められ、メフィスト2世は一瞬怪訝そうな顔になったがすぐに得意げに胸を張る。世の中には知らないほうがいいこともあるとはまさにこのことだった。

 真吾が放り込まれた場所は館の悪魔と呼ばれる高位悪魔が管理する屋敷で、千年もの長きに渡って饗宴を続けているという。高位の悪魔たちが次々と訪れ、一人が去ってもすぐにまた別の悪魔が参加するので、決して終わることのない永遠の悪魔の饗宴が繰り広げられているのだそうだ。さきほどまで真吾が休んでいた寝室も、館の悪魔が管理する屋敷の一つにあったのだ。

 助けてくれたのは嬉しいけど、もしかして僕、とんでもない場所に来ちゃったんじゃないのかな。悪魔に関する知識は深いはずの真吾でも、館の悪魔なんて聞いたことがなかった。少し不安になったが、メフィスト2世は油断さえしなければ大丈夫だといっているし、信じて進むしかなかった。
「人間界に戻るには、館の悪魔がいる屋敷の最深部まで行かなきゃならないんだ。ここは魔法陣が効かない場所だからな。なあに、何事もなく進めばほんの数時間程度で戻れるさ。俺から離れるなよ、悪魔くん」
「うん。頼むよ、メフィスト2世。早く人間界に戻って、あの逆五芒星の謎を突き止めないと」
 あくまで生真面目な、険しい顔の真吾に、メフィスト2世は相変わらずだなあとけたけた笑っていた。

 むせ返るような濃厚な花の香りが一面に漂い、正装した悪魔たちが空気のように軽やかに踊り、談笑し、歌っていた。ほとんどの悪魔が人型をしていた。一見すると美しく着飾った人間たちにしか見えない。それが逆に恐ろしいと真吾は思う。よくよく見ると、人間には持ち得ない整い過ぎた顔立ちや、赤、緑、青、様々な色合いの肌に、指の間に水掻きのようなものがあったりと、まるでSF映画でも見ているような気分だった。石造りの屋敷は冷え冷えしていて、暖炉には赤々と力強い炎があるというのに身体の芯まで冷気が染み込んでくるようだった。悪魔たちの永遠の宴は華やかでため息がでるほど美しく、そして魂が凍るほど恐ろしかった。

 きょろきょろと子供らしい好奇心で物珍しそうに辺りを見回し、真吾は隣にいるはずのメフィスト2世を振り返った。がっくりと膝から力が抜けそうになったが、何とかその場にへたり込むのだけは免れた。
「嘘だろ……どこに行ったんだよ、メフィスト2世」
 挙動不審にならないよう注意を払いながら真吾は上下左右を見渡した。見慣れた姿はどこにもなかった。
 もう、早く人間界に帰って、みんながどうなったのか知りたいのに。あの男、あの魔術を調べなきゃならないっていうのに。真吾は頭を抱えた。こんなところで人間の僕が一体何をどうやってメフィスト2世を探し出せばいいっていうんだ。
 だがこうなった以上、真吾一人で何とかこの場を切り抜けなければならない。
悪魔らしくしなきゃ。僕は人間に上手く化けた悪魔なんだ。真吾は決意を固めると、窮屈な蝶ネクタイを少し緩めてから慎重に歩き出した。

 原材料が何なのか検討もつかない、だが美しく盛り付けされた料理が並ぶ中を真吾は歩く。食欲を大いに刺激される香りが真吾の鼻腔をくすぐった。美味しそうだけど、何の肉なのかは考えないほうがいいんだろうな。
「何か飲むかね、坊や。見ない顔だね」
 突然横から声をかけられ、真吾はどうか悪魔に見えていますようにと祈りながら振り向いた。
 その悪魔は緑がかった肌をしていて、笑うと耳まで口が裂けた。ぴっちりと折り目のついた濃緑の衣の良く似合う、精悍な顔をした悪魔だった。ひょいと顔を覗き込まれ、真吾は思わず一歩後ずさった。甘い香りがその場を満たす。この緑色の悪魔からだ。もし僕が蝶だったなら、ふらふらとこの香りに誘われてそして捕食されてしまいそうな、そんな危険さを孕んだ香りだ。真吾は少し怖くなったが、表情に出さないよう努力した。

 異界のものを口にすると元の世界に戻れなくなるという。この場においては事実でないことを真吾は知っていたが、丁重に断ることにした。
「なら面白いものを見に行こうか、坊や」
 よほど退屈していたらしく、その緑色の悪魔は再び真吾の顔を覗き込んだ。隙を見せるな、見くびられるな、毅然としろ。王者のようにだ。メフィスト2世の言葉を思い出し、真吾は少しどきどきしながら、だがそれを気取られぬよう口を開いた。
「僕、急いでるんだ。それに……坊やって呼ぶのは止めてくれないか。そう呼ばれるような歳でもない」
 本当は十一歳だけどね。真吾は心の中でこっそり付け加える。
「おっと、これは失礼した。名を伺ってもよろしいかな? 私はレラジェだ」
 もうどうにでもなれ僕は悪魔だ。半ば開き直り、真吾は堂々と答える。
「僕は真吾だ」
「シンゴ? 変わった名だね。ところで、本当に行かないのかね。今夜は珍しく、とても面白い余興があるんだよ。尊い悪魔の果樹園を荒らした不埒者を裁くのさ」
 緑の悪魔が指し示した大きな鏡にすっと映像が映し出された。真吾はどさりとソファに腰を下ろす。上等な革張りのソファは心地よく真吾の身体を受け止めてくれた。乾いた唇を一舐めして湿らせてから、真吾はゆっくりと口を開く。
「面白そうだね。やっぱり見物させてもらうよ」
 緑の悪魔はぱちんと指を鳴らした。
「ほらな、気が変わると思っていたよ! たまには血を見ないとな!」
 背をのけぞらせ、げらげらヒステリックに笑う悪魔に、真吾は平静を装って曖昧に頷いた。
 どうして、百目がこんなところで、こんな大変なことになっているんだ。今すぐ人間界に戻りたいのに、これからメフィスト2世を探し出して、その上今度は百目をどうにかして助け出さなきゃならない。十二使徒と再び共に過ごせるのはたまらなく嬉しい。だが同時に真吾は早くも、約半年余りしか続かなかった平穏なひと時を少し懐かしく思い始めていた。

 緑の悪魔レラジェの隣でできるだけ悪魔らしく見えるよう真吾は歩く。悪魔らしいって何だろうと思ったが、ようするにメフィスト2世みたいに振舞えばいいのかなと真吾は考える。それにしても、かっこいいけどこの服かなり動きにくいよ、メフィスト2世。
 話しかけてくる悪魔たちに真吾はできるだけ大胆不敵に振る舞い、恐れるものは何もないといわんばかりの顔で闊歩した。一度喧嘩を吹っかけられそうになり、メフィスト2世の嘘つきここでは無意味に争わないっていっていたのにと慌てたが、幸い向こうから引いてくれたので何とか危機を脱した。攻撃魔法を繰り出す気配もなく、構えも取らない真吾の姿をみて、かなり高位の悪魔だと勘違いしてくれたようだった。
 でも、僕、ひょっとすると何か間違ってるかもしれない。
 演技もそろそろ限界に近づき、さてどうしようと真吾が思っていると、突然レラジェが歓声を上げて飛び上がった。どうやら血を見るよりも面白いことを見つけたらしい。
 あっという間に飛び立っていった緑の悪魔の背中を見送りながら、自分から誘っておきながら悪魔って勝手だよなと真吾は思う。道順だけでも聞いておけばよかったな。
 だが、再び回り始めた運命の女神は、どうやら真吾を見捨ててはいなかったらしい。
「悪魔くんではないか。随分めかし込んで、なぜここに?」
 聞き覚えのある声に、真吾は破顔した。
「メフィスト!」


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2007/10/27

あー何といいましょうか、悪魔くんのタキシード、自分で書いてて自分で萌えて大喜び。なんておめでたい……! あいにく絵はさっぱりなので激しく妄想で。メフィスト2世とメフィスト老も加わってトリプルタキシード。そしてやっぱり、百目はこうでなくっちゃね! ということで相変わらずのうっかりさんな百目ちゃんもぜったい外せないポイントだ!
あともちろん館の悪魔は私が勝手に考えた悪魔です。そのまんま「やかたのあくま」。レラジェは名前だけ持ってきただけなので伝承の悪魔とは別物です。必要以上にオリジナルのキャラは出さないつもりだけど、まるっきりなしだとお話が作れなかったのでちょっとだけ!