ユートピア「5話 再会」 胸が苦しい。誰かが僕の胸をがんがん叩いている。止めてよといいたかったけれど、まるで自分の身体ではないかのように全くいうことを聞いてくれなかった。ああ、それにしてもすごく疲れたな。頭が割れるように痛いし、ほっぺたもひりひりする。喉もむずむずして痛くてたまらない。眠くて眠くて仕方が無かった。ほんの少しだけこのまま眠りたいだけなのに、今もなお誰かが僕を激しく揺さぶっていてそうさせてくれない。 僕はもう、眠いのに。 肋骨が嫌な音を立て、その痛みに真吾は眉を顰めた。それだけでは飽き足らないのか今度は頬をぺちぺちと叩かれ、真吾は堪らず止めてよと叫んだ。今度はどうにか声が出た。だが叫んだつもりが、実際は弱々しい声が激しい咳と共に出ただけだった。 我ながら酷い声だと思いながら真吾はゆっくりと瞼を開いた。腫れ上がった喉をそっとさする。その痛みと同時に一気に記憶が蘇った。 そうだ、僕はあの魔物に食い殺されそうになったんだ。召喚に失敗して、それで……僕は間違えたんだ。僕は大きな判断ミスを犯し、取り返しのつかない事態になるまで僕はミスを、みんなを大変な目に合わせて―― 「悪魔くん、大丈夫か? 俺が分かるか?」 懐かしい声、懐かしい姿に、真吾は泣きそうになる。ワインレッドの蝶ネクタイに、真吾の目から見ても高価そうなタキシード、黒いシルクハットがトレードマークの、真吾の親友であり第一使徒でもあるメフィスト2世が心配そうに彼を覗き込んでいた。 「メフィスト2世……」 「久しぶりだな、悪魔くん。元気そうで何より……って訳にはいかなかったようだな」 真吾は無理やり上体を起こして辺りを見回した。目に飛び込んできた予想外の光景にぽかんと口を開ける。天蓋付きの古めかしいベッドに真吾は寝かされていた。悪魔図鑑で何度もみたことのある異形の者たちの像が部屋のそこかしこを飾り、古代魔法文字で書かれた書物がナイトテーブルに広げられたままになっている。 「おい、急に起きない方がいいぜ。悪魔くん、結構やばかったんだからな。全く、久しぶりに呼ばれて来てみれば悪魔くんは蜥蜴野郎に殺されそうになってるし、妙な結界はあるわで何事かと思ったぜ」 「ちょっと待ってくれ、ここはどこなんだ? 召喚は失敗したはずなのにどうやって……学校のみんなは大丈夫なの? あの魔物たちは――」 「待てよ、順を追って説明するからよ。といっても、俺も人間界のほうの事情はよく分かんねえけどな」 真吾はこくりと頷く。メフィスト2世がかけ直してくれた毛布に包まり、温かいベッドの中で呼吸を整えた。柔らかい光を放つ蝋燭がメフィスト2世の顔を照らしていた。それはどこか幻想的で、まだ夢の中にいるようだった。 「そうだな、まずは……ここは魔界だ。おっと、慌てるなよ、まだ寝てろ。確かに妙な結界のせいですぐには召喚に応じられなかったが、この俺がちゃちな結界の一つや二つ破れないわけがないだろ。まあちょろいもんだったぜ。あの妙な魔物たち、やたら数だけはいたもんだからひとまず悪魔くんを魔界に送ったのさ。悪魔くんは意識がなかったし、とても俺ひとりじゃ守備にまで手が回らなかったからな。だがな、どうもあの魔物たちはあの結界の中でしか存在できないものだったらしく、俺が蜥蜴野郎を倒しているうちに消えちまったんだ。で、悪魔くんを魔界に放り込んだままだったから、こうして俺もすぐ追いかけてきたわけだ。人間界より魔界のほうが安全だなんて皮肉だな」 真吾は俯いた。 「いや、そういう意味じゃねえよ」 うっかり漏らした失言にばつが悪そうなメフィスト2世に、真吾はかぶりを振った。 「ううん、僕が悪いんだ。いきなりじゃなかった。兆候はあったんだ、なのに僕はそれを無視した。大丈夫だと思ったんだ。僕はみんなを守らなきゃならなかったのに、僕のミスだ」 そう遠くない過去の自分なら考えられないような失態だった。メフィスト2世もきっと呆れていることだろう。メシアとしての責務を果たせなかったことより、親友に嫌われたらどうしようという思いのほうが強く、真吾はそんな自分自身が恥ずかしかった。 何が一万年に一人の悪魔くん、メシアだ。結局僕は現状に甘んじていて、いざ危機が迫った時何もできなかったじゃないか。幾つもあった前触れに気づかず、いや気づいていたのにつまらない意地を張ってあえて見過ごしたんだ。 メフィスト2世の顔をまともに見ることが出来ず、真吾はじっと下を向いたまま唇を噛み締めた。頭上から降ってきた小さなため息に、真吾はびくりと肩を震わせる。 「俺、この前死神屋に出前を頼んだんだけどよ、二時間も待たされたんだぜ。何でも、下級悪魔どもの喧嘩に巻き込まれたんだとよ。それは、人間界と悪魔界の平穏を保てなかった悪魔くんのせいか?」 「違うけど……でも、それとこれとは全然別だよ」 「別じゃねえよ。同じことだ。さあ、もう辛気臭い話は止めだ。せっかくまた会えたんだぜ、積もる話は他にいくらでもあるだろ」 自信たっぷりに言い切るメフィスト2世に、真吾はおずおずと顔を上げた。 シルクハットを人差し指で軽く回し、メフィスト2世はにやりと唇の端を持ち上げた。ふてぶてしいといってもいいような、大胆で自信家なメフィスト2世らしい笑いに、真吾は張り詰めていた心が溶けていくのを感じた。他人を慰めるのに慣れていないのかどこか照れくさそうなメフィスト2世に、真吾は目頭が熱くなった。お礼もまだいっていなかったなと今更ながら思い出す。 「ありがとう、メフィスト2世」 一度は止まっていたメシア悪魔くんと十二使徒の運命は、再び回り始めようとしていた。 4話へ 戻る 6話へ 2007/10/20 真吾、雪山で寝たらいかん! この辺で序盤は終わりです。あとは見覚えのない場所で目覚めた真吾くんの冒険とか、仲間との再会とか、逆五芒星の謎とか、日常のあれやこれやとか色々続く予定ですたぶん! メフィスト2世との再会まで何とか妄想できました〜でもまだまだまだまだ終わらないです。 |