ユートピア「4話 メフィスト2世」


 魔界の夕日の穏やかさは見事なものだ。白銀の美しい日の名残を眺めるのが最近の日課になっていた。人間界の血の色のような夕日を初めて見た時、メフィスト2世は意外に思ったものだ。魔界よりもおどろおどろしいじゃないかと。かの少年もこれを見たらきっと驚くだろう。堅牢な造りの屋敷の屋根にちょこんと腰をかけ、メフィスト2世はかつて共に戦った仲間であり大切な親友でもある真吾に思いを馳せていた。強い風が吹きぬけ、飛ばされそうになったシルクハットを慣れた手つきで押さえる。
 ざわざわと囁きあっている草花、意思を持って動く木々、白銀の夕日、今思えば悪魔くんに一度ゆっくり見物させてやればよかったな。あのお人好しのメシア、俺の小さな主人は今頃どうしていることやら。
 永遠に近い時を生きる悪魔は日常的に大きな魔法を使ったりはしない。だから実をいうと東嶽大帝との休む暇のない激しい戦いの連続は、まだ悪魔としては子供の部類に入るメフィスト2世にとってかなりきついものだった。疲弊した身体を癒し、好物のラーメンを気ままに食べ、年若い悪魔メフィスト2世は今日もぼんやりと魔界の空を眺めていた。

「人間界のラーメン、久しぶりに食いてえな……」
 ぽそりと呟いたまさにその瞬間、懐かしい感覚がメフィスト2世の身体を包み込んだ。
 悪魔くんが呼んでいる。
 久方ぶりに親友に会えるという喜びと、悪魔としての闘争本能、そして契約による絶対的な縛りがメフィスト2世の身体を駆け巡った。かっと身体が燃え上がるように熱くなり、メフィスト2世を中心に召喚の魔法陣が浮かび上がる。真吾の清浄な魔力と逆らうことの出来ない魔の理に導かれるまま空間の歪みに身を委ねた。はずだった。だが胸のむかつくような嫌な障壁がメフィスト2世の行く手を阻み、彼はたたらを踏んだ。
 こいつは何だ。こいつは悪魔じゃないぞ。力自体は大したことはない。だが、このおぞましい気配は何だ。悪魔、魔物、悪霊……感じる力の波動はよく似ているが、どうも違う。
「悪魔くんは、一体何と戦ってるんだ?」
 メフィスト2世は大きく息を吸い込み魔力をステッキの先に集中させると、力任せにその障壁を破りにかかった。
「魔力、稲妻電撃!」
 障壁は揺らいだが、まだだ。余波で痺れる腕をものともせず、メフィスト2世は更なる攻撃を加えた。
「魔力、絶対零度!」
 みしり、と嫌な音を立てて僅かに亀裂が走った。裂け目にステッキを突き立て、無理やりこじ開けながらメフィスト2世は奥歯を噛み締めた。錆びた鉄のような味が口の中に広がる。唇から僅かに流れた血を、メフィスト2世はぺろりと舐めた。

 あの人間の子供、小さな救世主、俺と契約を交わした少年、真吾。彼のもう一つの名は。
「悪魔くん!」
 メフィスト2世は叫んだ。言葉に出すことで、心なしか身体に力がみなぎってくるような気がした。そういえば、かつて戦いで俺の力が尽きた時、悪魔くんは自分の生命力を削ってまで俺に力を分けてくれたっけ。
 ちくしょう、こんな障壁が何だっていうんだ。
 暴れまわる結界を無理やり押さえつけると、全身に凄まじい反動がやってきた。身体中がバラバラになりそうな感覚に眩暈を覚えるが、結界に突き立てたステッキだけは放さなかった。口にたまった血を唾液と共にぺっと吐き出す。
 やれやれ、お久しぶり過ぎて勘が鈍ってるのか、俺は。我ながら情けないぜ。地上に現れた救世主真吾と共にどでかい魔を打ち払った誇り高き第一使徒じゃなかったのか。
 全身の骨という骨が軋んだ。こりゃしばらく痛みが取れないなとメフィスト2世は思うが、迷いなど微塵もなかった。
 全く、この俺様をソロモンの笛で脅しやがって、毎回甘いことばかりいって、せっかく俺が助けてやろうとしているのに、「待つんだ、メフィスト2世!」何度も俺を制止して、そして情けをかけた悪魔に裏切られ、それでも懲りずにまた甘っちょろいことばかりしやがるんだ。俺を乗り物扱いしたり、平気で使い走りをさせたり、全く俺様はメフィスト家の一員、偉大な悪魔の一人だっていうのに。
 ちくしょう、嫌な予感がしやがる。何だっていうんだ。
「ちくしょう、何だってこんなことを俺は思い出してるんだ、これじゃまるで」
 まるで、悪魔くんが死の際にいるみたいじゃないか。
 浮かんだ不吉な考えに、メフィスト2世はちっと舌打ちする。今は余計なことを考えるな。今はただ、この邪魔な障壁を打ち破り、悪魔くんのもとへ一刻でも早く行くことだけを考えるんだ。一万年に一人の救世主がそう簡単にくたばるわけがないだろう、そうじゃないか?
「誰だが知らないがどきやがれ、こんなちんけな壁でこのメフィスト2世を止められると思うなよ、邪魔する奴は容赦しないぜ」
 俺の小さな主、我らがメシア、そして何より俺の。
「親友が呼んでるんだからな、いい加減どきやがれ!」
 メフィスト2世の空気を震わす怒号と共に、乾いた音を立てて障壁は崩れ去った。


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2007/10/16

場面は変わってメフィスト2世視点です。メフィスト2世と真吾って、使徒と救世主という関係以前に、親友、戦友、という感じで好きです! というわけで彼らの友情がメインの一つです。少年時代特有の熱い友情っていいなあ。ちょっと短いですがきりのいいところで次回に続くです。そして「杖」じゃなくて「ステッキ」だったことに気づき修正!