ユートピア「54話 正義の味方」


 いつだったか、僕こそが混乱の源だといった仙人がいた。ある意味では間違ってはいない。僕はこの世の仕組みのあまりの杜撰さ、幼稚さ、つぎはぎだらけの粗雑な構造にびっくりしてる。世界は革命を待っていると思いたい。誰も望んでいないとしても、僕はそうしたい。僕は自分の力を試してみたいし自分の楽しみのために知的な興奮を追い求めたい、それっていけないことなのかな? 僕は自分の考えるユートピアを求めてる。でも世界は混沌を望んでいるようにも思える。二つの主張が噛み合わず妥協点もないとなれば、片方がもう一方を従えさせるしかない。そして僕は、自分の求めるものを捨てるつもりはない。ということはつまり、僕は世界の敵になることで世界を救うのかな? どんなにがんばっても最後には、僕は世界の敵になるんだろうか。
 僕は正義の味方なのか?
 ほんの一年前の真吾なら無邪気にイエスと答えただろう。けれどもいまは、自信がなかった。

 南方勢力の野営地は静かだった。主だった戦闘要員はすべて国境付近に集結しているからだ。
 ぽつぽつと歩哨はいるもののほとんどが非戦闘員のようで、思い思いに身体を休めて談笑している。悪魔たちは耳慣れない異国の唄を口ずさみ、仲間の兵士に向かって砂を一掴み投げては笑っていた。
 切れ切れに聞こえてくる言語は真吾には理解不能だったが、丸暗記すれば済む話だ。戻ったらメフィスト2世に通訳してもらえばいい。人間であることの利点は、気配をさとられることなく敵陣の奥深くに潜り込めるところにある。もっと近くに寄ってみたかったが、あいにく遮蔽物がなにもないので、野営地に近い岩肌にぴたりと身体を寄せて用心深く観察を続けた。固い皮膚や角、牙、爪を持つ者がほとんどだったが、基本的にみんな人型をした悪魔だった。焚火に照らされ赤く輝く悪魔たちの目には紛れもない知性の光が宿っている。生命の危険に晒されれば怯えもするし、傷を負えば痛みを感じ、遠く離れた故郷を懐かしんで唄うこともある。僕らとたいした違いはない。当たり前だ。今回の僕の行動はなにもかも馬鹿げてる。メフィスト2世の評価通り、正気の沙汰じゃない。僕はなにを期待していたんだ? 知能も感情もない化け物が相手なら罪悪感を感じることなく戦えるとでも思ったのか? 血に飢えた悪鬼がうようよしている現場でも押さえたかったのか? 立場が違うだけで、館の悪魔も、南方勢力も、逆五芒星の男も、そして僕も、高い知能と高度な社会を持つ生物という点ではなにひとつ変わりない。

 もう、十分だった。真吾は重い足取りで帰路につく。割りきったゲームとして戦争をするには、真吾はあまりに育ちが良すぎたのだ。

 真吾は東嶽大帝やその配下の悪魔たちをものの見事に、少年らしい潔癖さで屠った、それは世界を救うためでもあったし、降り注ぐ火の粉を払うためでもあった、つまり正当防衛でもあったわけだが、今回の戦は事情が違う。真吾には選択の余地があり、館の悪魔の提案を蹴ることもできたはずだった。にもかかわらず……魔界のパワーバランスを崩す結果になりかねないとわかっていながら関わる必要のない闘争に飛び込み、小奇麗な手を汚し、早くもそれを後悔しはじめている。

 僕にはわかっていた。
 この戦における僕の、「悪魔くん」のポジションは、決して単純な正義の味方なんかじゃないってことをだ。これは秘密でもなんでもなく周知の事実で、真吾自身もメフィスト2世も皆、あえて口に出さないだけだ。
 これはメシアの聖なる戦いなどではなく、いわばメシアになりつつある少年の試行錯誤の戯れ、演習なのだ。平穏と闘争、どちらも僕に必要なことだった。使徒たちもそれはわかっている。その証拠に、たった一人で敵陣を偵察したことを知った十二使徒の反応は、真吾の予想と大きく異なっていた。

 殴りかかってくるかと思われたメフィスト2世は、この世のすべての不幸が降りかかってきたかのような顔をしていた。なにか言いかけては口を閉じ、またなにか言葉をまとめかけては中断し、結局なにも言わないまま石壁に体重を預けて両腕を組んだ。
 使徒としてふるまうべきか、友人として無謀な行動を諫めるべきか、どうにも決めかねていたのだろうと、ずいぶん後になってから真吾は気付いた。思えばメフィスト2世も、悪魔の基準で考えればまだほんの少年なのだ。十二使徒の何気ない仕草、会話を思い出してみると、年かさの使徒が年若い使徒に接するときの態度は、大人たちが真吾を扱うやり方とよく似ていた。
 そんなわけで、メフィスト2世のパンチは食らわずに済んだが、その代りにユルグと妖虎にはこっぴどく叱られた――「大人」から教え諭されるときの、妙にそわそわしてどうしたらいいかわからなくなる、あの感じを久々に覚えた真吾だった。

 なにはともあれ、戦況は切迫している。大地をとろかす太陽が頭上に鎮座し、南方勢力は間近に迫り、真吾はいまだ未完成のメシアで、すべては刻々と移り行く。
 真吾が南方勢力の内情に通じていないのと同じくらい、南方勢力の方も最果ての地についてなんの情報も持っていない、それだけが救いだった。

 危機的状況の中、真吾はまだ身の処し方を決めかねていて、第一使徒と共に塔の矢狭間から敵軍を俯瞰していた。歩兵連隊が国境と防壁を守る配置についているが、本隊が来るまで持つだろうか。真夏の暑気で町は蜃気楼のように揺れ、やがて急速に広がった雲が太陽を飲み込み始める。瞬く間に降りだした大粒の雨に追い立てられ、真吾とメフィスト2世は塔の中に避難した。

 メフィスト2世は心底嫌そうに呟く。
「くそっ、かっこ悪いぜ。こそこそ砦に閉じこもってるなんてな」
「それを言うなら僕だって同じさ。でも、本当の問題はそこじゃないと思うよ。最終的に丸く収まれば問題ないはずなのに、僕らは勝敗にこだわり、個人的な意地を気にしてる。僕の本来の目的はユートピア建設で、魔界の領土問題をどうこうすることじゃない。僕らの問題点のひとつは馬鹿みたいに見栄っ張りなことなんだよ」
「僕らって、俺はともかく悪魔くんもか?」
「そう、僕と君がだよ。男の沽券ってやつを必要以上に気にしてるのさ」
「確かに、俺様のプライドは山より高いぜ」
「おまけに、僕と君が抱える問題はそれだけじゃない。僕らは種族こそ違えど、ある共通の壁にぶち当たってる。心当たりあるだろ?」
「なにもしなくても事件の方から飛び込んでくる厄介な体質のことか?」
「はは、それもあるかもな。僕が言いたいのは、僕らが本来属すべき世界との軋轢のことなんだ。つまり……本来なら僕は人間社会に属し、人間のやり方で人間としての幸福を追い求めてるはずなんだよ。そうするのが自然なんだ。でも僕は……わかるだろ、必ずしも人間の味方ってわけじゃない。僕は、埋れ木真吾は、人間でありながら人間に属さず、かといって完全に悪魔に肩入れしているというわけでもない。僕はどの種族にも組み込まれてないのさ、なぜなら僕は、種族単位じゃなく世界の単位で物事を考えているからだ。これってけっこうシビアだよ。メフィスト2世も僕と同じだ。悪魔でありながら悪魔の社会から離れ、どの種族にも属さない。というより、僕の第一使徒でいる限りは特定のグループに属することができない。僕のせいで悪魔の世界で苦労してるんじゃないか? 僕だって人間という種族からある意味では疎外されていて、なにもかも思うようにいかない現状に苛立ってるんだからな」
 メフィスト2世はシルクハットをぴんと指で弾き、
「おいおい悪魔くん、ひとつ重要なことを忘れてないか?」
 予想外の明るい声に、真吾はあらためて第一使徒の顔を見た。
「あのな、俺はそもそものはじめから、好きなときに好きなとこにいって好きなことしてきたんだぜ。勢力もくそもないさ。悪魔くんはなんでも自分のせいにしなきゃ気が済まないんだ、違うか? 悪魔くんはいいやつで、俺だって結構いいやつだろ? 俺たちはいつだって正しいと思うことをしてきた、向かうところ敵なしのいいコンビだぜ、それがわかってりゃ十分だろ」
 これには真吾も笑うしかなかった。メフィスト2世のいいところは、相手に決まりの悪い思いをさせずに励ましてくれるところだ。
「まったくメフィスト2世、君ってやつは……君の手にかかると、世界はがぜんシンプルになるな」
「もっと褒めてくれていいぜ」
 真吾はメフィスト2世の要望に答えてみせた。
「メフィスト2世は僕の一番の相棒だよ。ラーメンの食いっぷりもいいし、最強にタフだし、僕のいい兄貴分にもなってくれてる」
「そーだろ、そーだろ、俺って自分でも惚れ惚れするくらいの男前だからな」
 真吾はそこで真顔になると、声を落とした。あまり長いこと秘密をため込んでおくのはよくない。
「メフィスト2世は僕よりお兄さんだよな」
「まあな」
「じゃあ僕がいまからちょっとした秘密をばらしても怒らないよな」
「そりゃ、内容によるぜ。なんだよ、改まって」
 真吾は少しためらったが、結局打ち明けることにする。
「南方勢力との戦のことだよ」
「ああ、もうすぐ攻め込んでくるだろうな」
「やつらと初めて対峙した、国境での戦のことなんだけどさ」
「ああ」
「誰も気づいてなかったけど、僕はちょっとしたミスをやらかしてた」
「ひょっとしてそれ、知らない方が幸せだった、って言いたくなるような類のやつか?」
「その通り、まさにそういうやつなんだ」
「いいぜ、言ってみろよ」
 笑うか怒るか呆れるか、メフィスト2世の反応が少し怖くもあったが、真吾は努めてさり気なく白状した。
「みんな、僕が自分の意思で南方勢力に宣戦布告したと思ってるだろ」
 メフィスト2世が反応するまで、たっぷり十数秒の間があった。
「……違うのかよ」
「実は違うんだ」
 真吾はすっかり話して聞かせた。あの弓矢は単なるおもちゃとして扱っていただけであって、せいぜい指揮官としての象徴くらいにしか見ていなかった、弓を射ることが開戦の合図になるだなんてこれっぽちも知らなかったということを。ちょっとしたいたずら心が、開戦に繋がったのだと。

 メフィスト2世はしばらく黙りこみ、このちょっとした問題とどう向き合うか考え込んでいるようだったが、やがてぽんと手を叩いた。
「悪魔くん」
「うん」
「やっちまったもんはしゃあない。この戦は、悪魔くんがメシアとして自分の意思でおっぱじめたってことにしとけ。もう最後までそれで通しちまえ」
 真吾はメフィスト2世のアドバイスに従うつもりではあったが、
「思うんだけどさ、歴史って、こういう風にだんだん事実とかけ離れて伝わっていくんだろうね」
「世の中そういうもんだ。どうせならかっこよく伝説をつくれよ。俺は黙っといてやるから」
「僕らは共犯者だな。もっともらしく嘘の歴史を広めるんだ」
 真吾もメフィスト2世も、真面目な顔を保とうとしたが、すぐにこらえ切れなくなり身体を折り曲げてげらげら笑い出した。目には涙を浮かべ、喉をぜいぜい言わせ、なにがここまでおかしいのか自分でもわからないまま笑い転げる。ひくひく痛む腹を押さえながらメフィスト2世を見ると、塔の冷たい石壁に額をつけて必死に笑いをこらえている。真吾の視線に気づきなにか言おうと口を開きかけ、その瞬間また噴き出してずるずると固い床にへたり込み、マントが埃まみれになっているのにも気づかない様子で肩を震わせていた。


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2010/07/23

すっごくお久しぶりです、お元気でしょうか。むしろ初めまして、というくらいの勢いです……いろいろあってもう無理かもと思ったのですが、悪魔くんラブの力で細々書きました! しかしほんとに久々です、サイト開設当初は数日おきくらいに更新してた気がするのに……とりあえず考え中です!