ユートピア「49話 最果ての地の少年王」


 真吾は陽光降り注ぐ美しい小国を心行くまで眺めてからインク壺にペン先を浸した。たった十一年しか生きていない僕が魔界の一歴史を記録しようだなんて大それた話だけれど、最果ての地で目にしたこと、思索にふけったこと、感じたことを残したい。この小さなユートピアの記録を外部の者が記録するなんて初めての試みだろうなと考えると、誇らしい気持ちになる。僕が失敗すればこの記録は紙屑になり、成功すれば僕と悪魔の歴史的な事件を思い出すよすがになるだろう。悠久の歴史の流れの中の僅かな波間に出現した僕という存在が世界にどれだけ波紋を投げかけられるか、挑戦してみようじゃないか。

『これは僕、埋れ木真吾の最果ての地における覚え書き、歴史の記録だ。いつの日か役に立つことがあればと願っている。
 辛うじて抜け出せた楽園の町とは違い、ここは十二使徒との繋がりを深めるのにも最適の場所だ。人類の行く末と、悪魔の台頭と、救世主――と自分ではっきり認めるのがまだ怖いし、自らを救世主と名乗るのは気が引けるけれど――救世主の誕生と死の物語の始まりだ。死という不穏な単語を使ったせいでメフィスト2世が横でなにか言いたそうにしているし、百目の涙腺もゆるくなってきている。気の合う相棒でもある第一使徒と可愛い弟のような第六使徒のために言い換えよう。誕生と、そうだな、軌跡の話だ。だけどまったく、第一使徒と第六使徒が両脇から覗き込んでるからなかなかはかどらないよ。
 僕の右手には第一使徒メフィスト2世がいて、籐椅子に寝そべったまま足をぷらぷらさせている。僕の視線に気づき、自信に満ちた、ふてぶてしいといってもいい笑みを返してくれた。左手には第六使徒百目がいて、盆に盛られた果物を口に詰め込んでいる。この時間を利用して、一気に進めよう。
 大聖殿には十一の神官と、それを束ねる大神官がいて、僕の補佐をしてくれている。合わせて十二の神官、十二の使徒、この数字は偶然だろうかなんて、考え込む時期はとっくに過ぎている。大神官は理知的で温かみのある人物で、僕はたちまち好感を抱いた。メフィスト2世とヨナルデパズトーリとの雑談中にそのことを持ちだすと、
「悪魔くんにかかっちゃ、よっぽどの悪人でない限りみんないいやつになんだろ。ま、確かにあいつはお人好しそうだから悪魔くんと気が合うんじゃねえの」
 メフィスト2世はいつもの軽口を叩き、
「誰も踏み入ることさえ許されず魔界の奥深くに存在し続けた国、独自の発展を遂げた神秘の地とは、腕が鳴るのである」
 ヨナルデパズトーリは興奮のあまり、僕の言葉が耳に入らないようだった。脱線は控えて次に進もう。この覚え書きはかなりの手直しが必要だ。
 大聖殿の玉座によじ登り腰を下ろして二十四人の部下を見渡した僕はひどく緊張していて、自分でも驚いた。小規模とはいえ国家を動かすのは初めての経験なのだから、当然ではある。玉座自体がちょっとした小部屋のようになっていて、必要とあらばカーテンで四方をすっぽり覆うこともできる。四隅を柱に取り囲まれたその玉座は、権力ではなく六芒星の力と神聖さを表すシンボルだった。この国のシンボルが六芒星であることを知っても、僕は意外になんて思わなかった、とここに記しておく。時間も差し迫ってきたから、今日はここまでだ。いまから十二使徒と大神官たちを集め今後の対策を立てる予定だ』
 真吾はそこでペンを置き、慣れない筆記具に痺れる手を軽く振りながら書き物机を離れた。しかし数歩も行かぬうちにふと思い立ち、一気にこう付け加えた。
『僕はここに宣言する、なんとしてでもこの地を守ることを』

 真吾の身長では玉座についても足が床に届かないが、そのことできまりの悪い思いをしたのは初日だけだった。いまだ解明できない最果ての地の謎、それを取り巻く侵略軍(貿易を口にしてはいるが実際問題として侵略と断言して差し支えない)、館の悪魔との同盟関係、真吾を取り巻く状況は切迫していて笑える要素はなにもない。にもかかわらず、初めて大聖殿で十二使徒と神官たちの前に立ったとき、真吾は突如こみ上げてきた笑いを抑えるのに必死だったのだ。この国を実質的に動かす者の中で、間違いなく真吾が最年少でもっとも力弱く、もっとも儚く――いくらでも付け加えられるが、とにかくそんな少年でしかない自分が、突然なにかの宗教のシンボルにでも祭り上げられた気がしてきたからだ。東嶽大帝との闘いにおいて真吾が占めていたポジションもある意味ではそうだったのかもしれないが、ここまではっきり意識させられたのは初めてだった。強烈なインパクトを引っ提げて世界を改革するのであれば、世知に長けた大人よりも、幼い少年であるほうがいい。そんな声が聞こえてきたような気がして、なんだかおもしろくないのだ。僕は単なる客寄せパンダの一形態でしかないのか? しかしいまはそれを深く掘り下げて考える時じゃない。第一、そうするにはあまりに遅きに失している。真吾は既に厄介事の深みにどっぷりはまっているのだから。真吾だけではなく、メフィスト2世や百目、真吾に関わりすぎたすべての者たちが引き返せない革命の渦に引きずり込まれていて、もう真吾にもどうすることもできない。

 大聖殿の中心に位置する広間は亡霊でも通り過ぎたかのように静まり返っている。誰もなにも言わないのは真吾が口を開くのを待っているからで、真吾が無言でいるのは言うべきことがまとまらないからだ。実際の戦闘ではそれなりに経験を積んでいるが、改まった場所で指導者として動くとなると勝手が違ってくる。でもそれでも、僕はこの地の人々の心を掴んでみせよう。ソロモンの笛の力に頼ることなく僕自身の考えに賛同してもらう、それができなければ僕はただの侵入者だ。真吾は腹を決めると、ようやく口を開いた。
「今日の議題は、この国が直面している外敵の脅威についてだ」
 最果ての地の南端、領土ぎりぎりに野営している勢力A――いまでは南方勢力と呼んでいるが――の問題が最優先事項のひとつとなっていた。さしあたっては館の悪魔の配下、総勢一万五千が国境に布陣しているが、南方勢力はいまだ撤退する気配はない。おまけに、どう考えても裏がある貿易まで求めてきた。ひょっとして僕は底抜けの馬鹿だと思われてるのかな? それもひとつの考え方ではあるけれど。館の悪魔と南方勢力の対立は続いているようだが、いまのところ小康状態を保っている。南方勢力は暇を持て余し、この地にちょっかいをかける気になったのだろう。真吾に戦を仕掛けることはすなわち、同盟関係にある館の悪魔に喧嘩を売るのと同義であるはずなのだが、魔界のしきたりはいまいちよくわからない。戦わずにはいられない種族なんだろうな。

 真吾が促すと、大神官が野営中の南方勢力について報告を始めた。大神官の衣は落ち着いた色合いの紫と緑で、大きな布をうまく身体に巻きつけている。踝まで届く裾は動きを妨げることのないよう要所要所で結えられていて、優美でありながら実用的な作りになっているので真吾はつくづく感心していた。今度僕も着てみようかな。洋服よりも動きやすそうだし涼しそうだ。もうひとつ無視できない要素、大神官の胸元には六芒星のペンダントがかけられている。もうぐうの音も出ないな。なにもかも僕のためにあつらえられたようで、こわいというよりも僕にはまだ時期尚早だという気持ちの方が圧倒的に強い。
「貿易か。この地で生まれ育った君はどう思う?」
「率直に申し上げて、理解しかねます。わざわざ危険を冒し手間をかけて大陸を渡り、我々と商いをする意味はなんなのでしょう。自国で賄えないのでしょうか」
 大神官は慎重に答えた。長らく閉ざされた地で独自の文化を築き上げてきただけあって、大神官の物のとらえ方は保守的だった。大神官ほど保守的ではない真吾も、いまのところは魔界の他の勢力と交わる気はない。特に相手が、隙あらば領土に潜り込もうとする好戦的な南方勢力とあってはなおさらだ。

 早急に南方勢力と決着をつけるべきか?
 真吾が出した議題に賛成のものは十人、反対が十人、中立が四人で、真吾は思案に暮れていた。誰がなにに票を投じたのかわからないように無記名投票形式にしてみたのだが、この結果を前に真吾の頭にまず浮かんだのは、
 政治ってむずかしいな……僕には荷が重いや。
 というなんとも切なく情けない思いだった。
 下手に民主主義を取り入れずにいっそ僕がすべての決定権を握ったほうがいいのか? だいたいなんなんだよ中立って! いや、落ち着こう。賛成十二の反対十二になっていた可能性も大いにあるのだから、同じことだ。最後に僕が票を投じて決定だ、それでいこう、ここまできてやっぱり自信がないからもう一度やり直そうなんて言えない。この改まった場で、メフィスト2世や学者や大神官、誰に助言を求めたとしてもおかしい。そんな弱気な王さまがいたら……少なくとも僕はついていくのが不安になるな。大神官と神官たちは柔和な笑みを顔いっぱいにたたえて真吾に注目しているし、十二使徒はいつも真吾がこなしているはずの素早い判断を待っている。だけどくそっ、実戦と国の統治はだいぶ勝手が違うんだよ。真吾はほとんどやけになって声を張り上げた。
「今後どうするかは決まり次第伝える。今日はもう解散!」

 古くさく干からびた時代を僕は叩き壊す。ちょっと不穏な表現だなあ。覚え書きには他の言い回しを考えよう。
 太陽が完全に沈みきる前、地上を包む淡い光が小さな国から徐々に薄れ始めやがて消えるまで、真吾はぼうっと遥か高みの魔界の空を眺め続けていた。黄昏時とはいえ、太陽を直視していたせいで目にはうっすら涙が浮かんでいる。日本から持ち込んだ時計を見ると、午後六時三十分だった。魔界にも昼と夜があり、この最果ての地にも規則正しく訪れる。真吾は感嘆のため息とともに呟いた。
「驚いたな。魔界の夕暮れの光は白銀なんだ。魔界に来るのはいつも非常時に限られていたし、いままで走り回ってばっかりで気づかなかったよ」
 うっすら見え始めた星々の配置も人間界とはまるで違う、僕の生きる世界とはまったく異なる大気に包まれているんだ。これが魔界、これこそ僕が物心ついた時から追い求めてきた神秘の世界なんだ。
「悪魔くん! 幽子ちゃんと一緒に遊ぼうだもん」
 背後から飛んできた弾けるような明るい声に真吾は勢いよく振り向くと、第四、第六使徒の手をがしりと掴んだ。
「つくづく、君たちは僕のオアシスだ。君たち悪魔に出会うために僕がどれだけの熱意を注いできたか、きっと知ったらびっくりするよ。僕はなんだか無性に、すっごく感動したよ!」
 唐突にそう叫んだ真吾に素直な百目は跳びはね、幽子のほうは恥ずかしそうに身体を縮めてほほ笑んでいる。
「南方勢力をどうすんのかはもう決めたのか?」
 眠たげなメフィスト2世の声に、現実に引き戻された真吾は正直に答えた。
「だったらいいんだけどね」
 改めて見回すと真吾の部屋にはメフィスト2世、百目、幽子、ピクシーが集まっていて、書き物机の上には作りたてのピクシー特製ドリンクが紫色の湯気を立てている。勇気が出たら飲むつもりだ。
「なあ、メフィスト2世。なにかアドバイスしてくれよ」
「俺にしては精いっぱい分別のある意見を言うなら、一晩よく寝てもう一晩考えて出直せってことくらいだな」
「そんなのんびりしてたら僕、ますますやつらに馬鹿にされるよ! 分別なんて知ったことか、いますぐはっきりさせたいっていう気持ちなんだけど、どうしたらいいかな」
 メフィスト2世はためらうことなく椅子の背に掛けられていた魔法のマントを掴むと、真吾に向かって放り投げた。濃い緑色のマントは重力に抵抗するかのように少しのあいだ宙に浮かんだ後、真吾の背にふわりとおさまる。
「だったら、たとえ地獄の果てでもお伴してやるよ」

 かくして真吾は南方勢力と館の悪魔軍が布陣する国境へ飛び込み、ひとつの伝説を作ることになる。後に最果ての地の歴史を取りまとめた真吾は、あまりに大胆で恐れ知らず、あまりに幼かった自分自身を再発見してひどく驚いた。
 この歴史的な事件の後ほどなくして、メフィスト2世が無鉄砲な少年の伝説にふさわしいエピソードを運んできた。
「知ってるか? 悪魔くんの称号がまたひとつ増えたんだぜ」
「聞くのがちょっと怖いけど、いい知らせなら教えてくれ」
 メフィスト2世はしばらくもったいぶって見せてから、まるで自分のことのように誇らしげに教えてくれた。
「最果ての地の少年王。すっげえよな。一年前に比べたら大進歩じゃねえか。魔界中に悪魔くんの伝説が知れ渡るのもそう先のことじゃないぜ。悪魔くんのユートピアが作れる日もそんなに遠くないんじゃないか、きっとな」
 しかしこれはほんの数日先の未来での話で、この時点の真吾には知る由もない。
 最果ての地の少年王という新たな名を持つことになるメシア埋れ木真吾は、自分が長らく停滞していた魔界の勢力図を動かすことになるとは露知らず、十二使徒を従え意気揚々と戦地に赴いていったのだった。


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2009/10/03

このあいだメモで予告したようにやっぱりちょっと遅くなりましたが(どういう展開にするか考え直した・はしょる方法を考えてたため)書けたところまで更新しました。次の展開がまとまらなかったらまた止まるかもしれないですがその時はその時で……! なんか、少年王って響きかっこいい! と一人燃えあがって「最果ての地の少年王」と命名しましたv