ユートピア「48話 予定調和の国」


「なあんか、難しい話になってきやしたね」
 そういうのパスでやんすと言いかけたこうもり猫を鳥乙女がかなり強く小突いている。真吾はくすりと笑ってから真顔に戻った。
「この話には続きがある。最果ての地に辿り着けばこの仮説が正しいかどうかはっきりするだろう。館の悪魔が言うには……」
 真吾はそこで言い淀んだが、使徒たちの穏やかな視線に励まされて切り出した。
「最果ての地の結界が弱まり始めたきっかけは他でもない、この僕だというんだ。僕が悪魔くんとして君たち十二使徒と契約を交わした直後から結界は急速に薄れ始め、東嶽大帝を倒したその日にはほとんど消えかけていたそうだ。確定じゃないけど、状況から推測する限りでは僕と最果ての地の間になんらかの関係があるように思えるだろ? 先史時代から存在する結界に閉ざされた地が僕の行動に連動しているなんていったいどういうわけだ? 興味が湧くだろう? 謎を解き明かしてみたいだろ? だから僕は行く。支配するためじゃなく、すべてをこの目で確かめるためにね」
 だんだんと熱のこもっていく真吾に気圧されるように、十二使徒は頷く。真吾はうわごとのように呟いていた。僕は誰がなんと言おうと行く、行かなきゃならないんだ。
 やや長い静寂が訪れ、十二使徒はお互い顔を見合わせ誰かがなにかを言うのを待っている、けれども異様ともいえる真吾の興奮はおさまらなかった。ようやく沈黙を打ち破る気になったのはユルグだった。
「館の悪魔ってのは食えないやつなんだろ。なにか裏があるんじゃないか」
 ぼそりと指摘するユルグに続いて、百目が目をうるませて訴える。
「館の悪魔はこわいんだもん……」
 真吾は苦笑する。
「そうだな、それは僕も考えたよ。まず間違いなく裏はあるだろうね。僕が最果ての地の謎を解く鍵となる、館の悪魔はそう考えているんだ。僕を使ってあの地を探りたいんだよ。それが第一の理由で、第二の理由は政治的な問題だ。いままで誰も踏み入ったことのない地を迂闊に支配するのは危険だ。かといって、敵対勢力に渡したくもない。だから僕に譲ったんだろう。勢力Aはなかなか厄介なやつらだ。僕にすべてを委ねることは、館の悪魔にとって都合のいい話なんだよ。僕が勝てば目の上のたんこぶが取れるし、負けても失うものはなにもないんだからな。あの地はすでに僕のものということになってる。敵に恐れをなして逃げ出したと思われずに済むわけさ。以上が僕の考えだけど、どうかな。いずれにしても、長居するつもりはない。僕はただ、知りたいだけなんだ」

 でも、と真吾は胸の内でそっと付け加える。ひょっとしたら、ほんの一時、うたかたの僕の夢が叶うかもしれない。束の間のユートピア、僕の支配下にある限りは……。十二使徒には決して面と向かってはいえない真吾のちょっとした野望だった。いつか実現するはずのユートピアに先駆けてちょっとした実験をしたい、ほんのひとかけらでいい、ユートピアの片鱗だけでも手にしてみたい。僕と館の悪魔の推測が正しければ、それが叶うかもしれないんだ。いつか手にする本物のユートピアのヒントくらいは得られるかもしれない。

「そこまでわかっていて、それでも行くのか?」
 ユルグの冷静な声に、真吾は軽く頭を振って意識をはっきりさせてから答えた。
「僕には敵が大勢いる。いまさら一人や二人増えたところでどうってことないさ。なんにしても……やってみる価値はあると思うんだ」
 真吾はそう締めくくり、十二使徒の目を順繰りに覗きこんで反対意見を待ったが、特に異論は出てこなかった。

 それに、だ。臆病者のメシアだなんてお笑い草にもならないじゃないか。災厄が過ぎ去るのを震えながら待てば世界が救えるのか? 危険から遠ざかり戦から身を隠す、そんな道がユートピアに続いているとは思えない。

 最果ての地に近づくにつれ、なにかに引っ張られるような、例えていうならエレベーターに乗っているときの胃がすーっと持ち上がるようなあの感覚が真吾を強くとらえ始めた。なにかが僕を呼んでいる。その正体を突き止める間もなく、家獣が急降下を始めた。久しぶりに味わう悪魔のジェットコースターに腹の奥がずしりと重たくなり、みぞおちを中心に身体がほてりだす。引き寄せられる感覚はますます強まり、額に浮かんだ脂汗がこめかみを伝い落ちていく感触がはっきりわかるほどだった。無意識のうちにぎりぎりと歯ぎしりをしていたが、真吾はそんな自分自身の変化にまったく気がついていなかった。
「くそっ、まずいぞ、僕にはまだ時期尚早だったんだ、まずい、このまま接近すればもう後戻りはできない――」
 後になって使徒に確認してみると、そんな不可解な呟きも漏らしていたという。しかし真吾の記憶からはすっぽり抜け落ちていて、それがより不気味さを増していた。超自然的ななにかに揺り動かされていた、そうとしかいいようがない。

 真吾の奇妙な予感と不安をよそに、運命の車輪は急加速で回り続ける。分厚い雲の連なりを潜り抜けたその先は、最果ての地だった。館の悪魔に利用されていることも新たな戦の火蓋を自ら切ろうとしていることも承知の上で、真吾はその地に降り立ったのだった。
 陸に面しているのは南側のわずかな一端だけで、東西北はすべてエメラルドグリーンの海に取り囲まれている。ほとんど孤島といってもいいその国は、踏み入るのがためらわれるほどたおやかで美しい。真吾がまっさきに連想したのは幻想的なフランスの修道院、モン・サン・ミッシェルだった。ここは本当に魔界なのか? 実りの多い肥沃な土地は、希少な鉱物や動植物にも恵まれている。住民のまとう衣装は古代ローマのトーガ、ストラと似ているが、色彩のバリエーションはより豊かで動きやすそうだった。要所要所を紐で結えている衣装は涼しげで、なおかつ優美だ。一番不思議なのは住民たちで、悪魔によく見られる角も鋭い爪も尾もなく、まるで……ただの人間のように見える。どういうことだろう、魔界の最果てに位置するこの場所に住むからには、当然住民も悪魔じゃないのか? この地に結界が生じたのはなぜなのか、なぜ突然その結界が消えたのか、住民たちは見たところ悪魔ではないように思えるのはなぜなのか……? 真吾の頭に目まぐるしく浮かぶ疑問は、解消されることのないまま蓄積されていく。

 僕はまだ十一歳で、戦いの最中、無性に家が恋しくなって足もとがおぼつかなくなる子供なのに、不安定で寂しい世界はこんなちっぽけな僕にもたれかかろうとするんだ。そんな世界に生きてる僕も、みんなも、なにもかも可哀そうだな。
 最果ての地、救世主真吾、十二使徒、強大な悪魔の軍勢。役者はすべて揃い、真吾は昂然と頭を上げて未知の領域へ足を踏み出した。

 真吾の美点のひとつは、辛抱強いことだ。
 真吾の欠点のひとつは、答えを早急に求めたがるところだ。
 このふたつは矛盾しているようだが、いまのところ実にうまく機能している。
 館の悪魔やその対抗勢力の悪魔たちに踏み荒らされるよりはと、真吾は応急措置としての支配を選んだ。僕自らこの道を選択したからには、重荷でも背負わなければならない。領内の人々――人ではないのかもしれないが悪魔にも見えず、種族不明だったので、真吾は便宜上、一番近いと思われる「ヒト」として扱うことにした――は信じがたいほどストイックかつ温厚だった。

 国の中枢をなす大聖殿は都心部の奥深くにあり、人々でごった返す街道を抜けなければならない。真吾の拠点となる壮麗な大聖殿の門扉は空を見上げるほど高く聳え立っている。都市は心地よい涼風の吹きぬける丘陵と肥沃な森に囲まれていて、底が見えるほど透き通った川の水は甘く、まさに絵に描いたような豊穣の地だった。防壁もあるが、それは野生の獣が迷い込むのを防ぐためのもので、外敵の侵入を想定したものではなかった。いま真吾は、大聖殿のはるか高みから街を観察しているのだ。

「王さま役もだいぶ様になってきたんじゃないか?」
 陽気なメフィスト2世の声に、真吾は回想から引き戻された。神殿の窓枠に頬杖をつき、眼下に広がる街から目を離さずに答える。
「どうかな。僕がほしいのは権力でも富でもない、知識なんだ。謎はまだ解けてない」
「それはもう一目瞭然なんじゃねえのか」
 真吾の胸元を飾るソロモンの笛を一瞥してから、メフィスト2世は大きく伸びをした。
 ソロモンの笛は乳白色の光に包まれていた。真吾がこの地に足を踏み入れた途端、笛は輝きはじめ、それ以来光が途絶えたことはない。ソロモンの笛は喜んでいるんだ、あたかもここが故郷であるかのように。
「正直いうとさ、メフィスト2世。僕は恐怖を感じたんだよ。文字通り総毛だった。この地に初めて降り立ち、ソロモンの笛を吹いた瞬間に起こった出来事にね」
「十二使徒でもないのに、ソロモンの笛があんなに効くなんてな」
「だろ? 僕はただ単に、敵意がないことを伝えるつもりで笛を吹いたんだ。なのにいきなり催眠状態に陥ったかと思うと、あっさり僕を受け入れてしまった」
「征服する手間が省けてよかったじゃねえか」
 真吾はじろりと第一使徒をねめつける。メフィスト2世はひょいと肩をすくめ、冗談だって、と付け加えた。

 それにしても、なんてきれいな街なんだろう。どんな技術が駆使されているのか見当もつかない、半透明の石で作られた小山ほどもある巨大な噴水には小さな虹がかかっていて、人々は満ち足りた様子で往来している。真吾はうっとりと小さな国を見渡し、感嘆のため息を漏らした。
「話は変わるけどね。あの逆五芒星の男のことだけど、メフィスト2世はどう思う? 僕の顔色をうかがって答える必要はないよ、率直な感想を教えてくれ」
 メフィスト2世はやや間を空けてから答えた。
「どうって……俺にとっちゃ単なる目の前の障害だけどな。でも実はちょっと感謝してた。だってさ、やつが大暴れしてくれたお陰で悪魔くんとこんなに早く再会できたわけだろ? こう言うと悪魔くんは怒るかもしれないけどな」
 悪戯っぽく笑うメフィスト2世の肩を真吾は軽くぽんと叩くと、内緒話を打ち明けるときの親密さで声を落とした。
「メフィスト2世には、いまの僕の正直な感想を教えるよ。みんなには内緒だけどね。正直いって、あんな卑劣なやつくたばればいいんだと思ったこともあるし、やつの悪行はとても見過ごせるものじゃない、でも……少なくともあの男は自分で行動を起こした。めそめそ泣きごとを並べ立ててそれで終わり、そんな生き方よりはまだましじゃないか? こんな風に感じる僕はおかしいのかな? いかれてる? 僕はときどき、あの逆五芒星の男と僕自身を比較するんだ。あの男は迷わない、僕は迷ってた。そりゃ確かに逆五芒星の男は道を踏み外した。でもあの男は自分の望みを叶えたんだ。最低最悪の悪行だとしても、それは事実だ。それに比べてまだ僕は、ユートピアとは程遠いところにいる。あの男は頭がぶっ飛んでるけど、でもそれは僕だって同じじゃないか、だろ? 僕は十歳で十二人の悪魔と契約し、世界を股にかけて戦い、この世のありかたを変えようとしている。僕以上にぶっ飛んでるやつなんてそうはいないだろ。あの逆五芒星の男と僕は、ひょっとしたらいい理解者として友だちになれていたかもしれない、そう考えると切ないよ。こういうのっておかしいかな、でもそんな風にも考えてしまうんだよ、最近の僕はね」
「それもひとつの考え方だよなあ」
「だろ? ひとつの考え方なんだよ。考え方次第なんだよな」
 メフィスト2世はいい聞き手で、すごくいいやつで、とりとめなく一方的に喋る僕をいつも落ち着かせてくれる。ときどき、本当の兄弟のような気さえしてくる、そうだったよかったのにとよく思う。

 あまりにも簡単に最果ての地の人々に認められ、君主におさまってしまった真吾の胸中は複雑だった。なぜこの地の人々はソロモンの笛の影響をこんなにも強く受けるんだ?
 なにかに作られたような平穏すぎる環境は楽園の町を思い起こさせたが、この国の完璧な調和と異質さはあの町の比ではない。

 そして、真吾の思考は振り出しに戻る。いったいこの地はなんなんだ? ここにきて真吾は、自分がどれだけ知的な探求に飢えていたかを痛感した。領土意識が希薄で、国の名前すらない。先史時代から外界と接触を持たずに独自の文化を連綿と続けてきたためだ。しかしこれからはそうもいかなくなるだろう。真吾としても、この美しい国が侵略されるのは見たくなかった。

 あらかじめ定められた筋書きのようで、真吾はなんとなく落ち着かない。メシアとしての僕の誕生は、安っぽい寸劇のように予定されていたものなのか? 最果ての地は文句のつけようもなく豊かで救世主真吾を歓迎しているが、寸分の狂いもない予定調和は、用意された運命をただ走らされているだけのようでまだ気持ちの整理がつかない。
 さあ来たれ、栄光と祝福の時代よ。耐えがたい苦痛と孤独から僕たちを解放し、輝かしい黄金時代へ導いてくれ。僕はそう叫ぶべきなのかな。……いや、なにを言ってるんだ、僕は。この僕が、メシアであるこの僕がすべての種族を導き、時代を動かすんじゃないか。でも、本当にそんなことが可能なのか?


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2009/09/01

ますますオリジナル設定になってるので苦手なかたはご注意ください。自らの意思でメシアとして動きだした悪魔くんでした! やっぱり葛藤する少年真吾くんに燃えるので、逆五芒星の男のことやユートピア、自分自身についてもあれこれ思索中ですv