ユートピア「27話 砂漠の町」


 生きている森というのは厄介なもので、道中何度も真吾のほうへ枝を伸ばしては行く手を塞いでくる。特に悪意があるというわけではなく、ただのいたずら好きらしい。
 こんな状況でなければ徹底的に調査したい森なんだけどな。
 まとわりついてくる枝を傷つけないよう慎重に払いのけながら、真吾は森を抜けた。

 メフィスト2世の背に飛び乗り二時間ほど進むと、広大な砂漠地帯にたどり着いた。赤茶色の岩山が見渡す限り続き、岩肌に寄り添うように筒状の建物が密集している。館の悪魔の整然とした領地とは違い、思いつきで建て増しを続けられたような、雑然とした町だった。荷馬車が猛烈な勢いで通り過ぎ、その拍子に舞い上がった砂塵をまともに吸い込んだ真吾は、しばらく激しい咳の発作に見舞われるはめになった。赤くなった目を瞬かせ、どうにか呼吸を整えて進むと、煤けた立札が目についた。
「なんて書いてあるの?」
 真吾が知っている言語のどれにも該当しなかった。知識欲がうずくが、ひとまず後回しだ。好奇心に足元をすくわれないように気をつけないといけないな。
「この町では魔力を使うなだとさ」
 どういう意味だろう。文字通りに解釈していいのかな。それとも、この辺境の地でのみ通じる隠語だろうか。
 おかしな話だなと思いながら騒々しい町に足を踏み入れ、舗装もされていない埃っぽい道を歩く真吾の心は次第に浮き立ってきた。
 僕はいま、魔界の町を歩いているんだ。
 地図にも載っていないような町だった。それが余計にわくわくする。
「すごいな、こうして知らない世界をあちこち探索するのが夢だったんだ。魔界でも、地獄でも、天界でも、どこだっていいんだ、僕の知らない世界ならなんでも。いつかまたゆっくり来たいな」
「そうだな。まずはこの事件が片付いたらのんびり飯でも食いに行こうぜ。ここんとこ走り回ってばっかで疲れるよな」
 通りを行き交う悪魔たちの間を縫うようにすり抜け、真吾とメフィスト2世はのんびりと歩を進める。上手く溶け込んでいるつもりだったが、悪魔たちの注目を集めていることに気づき、真吾は平静を装って辺りを観察する。
 人間だと感づかれてるわけじゃない、たぶん僕らの服装のせいだな。この町でこのタキシードは目立ちすぎる。
 森を抜け、砂塵舞う道を歩き続け、普通なら皺と埃だらけになっていそうなものだが、なにか術がかけられているらしく、タキシードは糊のきいた真新しい外観を保ち続けていた。さすがに腕章は外していたが、不毛の砂漠の地でこの改まった衣装はあまりに場違いだった。
 真吾はたまらずメフィスト2世に耳打ちした。
「ねえ、僕たち目立ってない?」
「そうかもな。ま、気にすんなよ。いちゃもん付けてくる奴がいたら俺がぶっ飛ばしてやらあ」
 心配しても仕方ないか。真吾は微笑み、歩き続ける。影もできないほど高い位置にある太陽は真吾たちを絶え間なく焼いている。口の中は乾ききっていて、唾も出てこない。道の端には悪魔たちの怪しげな露店がぽつぽつと並んでいる。あそこで売ってる赤いパン、僕が食べても平気かな? 喉がからからで干上がりそうだよと言うと、メフィスト2世が露店で山羊のミルクのようなものを買ってくれた。風味と味の濃さから考えて、たぶん違う動物なんだろうな。右も左も分からない悪魔の世界でこうしてメフィスト2世にあれこれ世話を焼かれていると、兄ができたようで新鮮だった。真吾はなんとなく幸せな気持ちで一気に飲み干すと、手の甲で口元を拭った。

 人目を避けるように細い路地に滑り込むと、強い好奇の視線に射抜かれた。だからと言って突っ立っているわけにもいかない。真吾はまっすぐ前を向いたまま歩を進めるが、つむじ風のように飛び出してきた複数の影に進路を塞がれた。跳ね上がる心臓をなだめながら、悪魔たちを刺激しないようにゆっくりと見渡す。一人、二人、三人、四人……。外見は真吾とそう年齢の変わらない少年たちに見えた。立ち位置から判断してリーダー格らしい少年のこめかみからは二本の細い角が生えている。二本角の少年の一歩後ろには、赤毛の少年と、爬虫類のような肌の少年、褐色の肌の少年が佇んでいて、真吾たちを無遠慮に観察している。
 ステッキを持ちかえたメフィスト2世を素早く制し、しばらくにらみ合ってから、真吾はゆっくりと口を開いた。
「通してくれないか」
 赤毛の少年がせせら笑った。
「ここは俺たちの縄張りだぜ、お坊ちゃんたち。通りたきゃ力づくでやってみろよ、ばーか」
「もういいよ、他の道を行くから。行こ、メフィ……」
 真吾が皆まで言い終える前に、メフィスト2世の魔力が膨れ上がった。猛烈な冷気が吹き荒び、灼熱の大地がほんのわずかな間だけ凍てつく空気で満たされた。
「ちょ、ちょっと待てよ、落ち着けって!」
「止めるなよ、俺をコケにしやがる奴は誰であろうと許さないぜ」
 そうだった、一度頭に血が昇ってしまうとそう簡単には収まらないのがメフィスト2世なのだ。そのプライド、いまだけでいいからしまっておいてほしいよ。
 真吾はメフィスト2世の腕を掴み、強引にステッキを下ろさせた。さすがに当てる気はなかったらしく氷の波動は少年たちの手前で弾け飛んでいたが、その余波は相当なものだったはずだ。なのに悪魔の少年たちはけたけたと笑っていた。明らかに自分よりも実力が上であるメフィスト2世に対して脅えるどころか、好戦的な眼差しでこちらに近づいてくる。
「俺とやろうってのか。どっからでもかかって来いよ、まとめて相手してやる」
 悪魔の少年たちは顔を見合わせ、ひそひそと相談を始めた。真吾はメフィスト2世をなだめようとかなり強く腕を引っ張ったが、頑としてその場を離れようとしない。
 なんだよ、命令しろっていうのか? 僕はメフィスト2世に命令なんかしたくないのに。どうして僕の言うことを聞いてくれないんだ?
 真吾はそんな自分の苛立ちを嫌悪し、それを静めるべく深呼吸をする。
 僕はメフィスト2世を、十二使徒を支配したいわけじゃないんだ。メフィスト2世はいいやつだ。最高の友達なのに、こんなときだけ僕の命令を聞いて当然の第一使徒扱いなのか? しっかりしろよ、これじゃ駄々をこねてるだけだ。これは僕の使命とは関係ないし、戦闘でもないんでもないんだから。

 リーダー格らしい二本角の少年はおもしろそうにメフィスト2世を見た。
「いいぜ、通してやっても。俺と勝負して勝てたらな」
 メフィスト2世はふんと鼻を鳴らした。
「俺が勝ったらきっちり詫びは入れてもらうぜ」
 真吾はメフィスト2世の腕を離した。というより、力が抜けたというほうが正しい。
 まったく、メフィスト2世はなにを考えてるんだ? それに、なにかおかしいぞ。いくら子供の悪魔とはいえメフィスト2世の実力くらいわかったはずだ。まともに闘って勝てるわけがない。なのになぜこんな提案をしてくるんだ?
「この町のルールを知らないみたいだから教えてやるけどよ、ここじゃ魔力はご法度なんだぜ。だからそこに、」
 言いながら二本角の少年は開けた通りを指差した。
「円を描く。そのなかで勝負する。相手を円の外にぶっ飛ばしたら勝ちだ。負けたら俺たちの子分になってもらうぜ。俺が負けたらここを通してやるし詫びも入れてやる、なんでもいうこと聞いてやるよ。どうする? 魔力なしじゃ怖いか、お坊ちゃん」
 あっさり挑発に乗って少年たちににじり寄るメフィスト2世に、真吾は心の中で盛大に溜息をついた。
 初対面なのにメフィスト2世の性格、よく見抜いてるよな。感心してる場合じゃないけど。
 メフィスト2世は、真吾が止める間もなく高らかに宣言した。
「いいぜ。ただし戦うのは一回、俺だけで十分だ」
 真吾は呻き、メフィスト2世のマントを引っ張った。
「なに考えてんだよ、メフィスト2世。別の道を通れば済む話じゃないか」
 小声で文句を言うと、メフィスト2世は自信たっぷりのいつもの笑顔で答える。
「あんな奴らに馬鹿にされてたまるかってんだ。すぐに終わらせて町を抜けるから大丈夫だって」
 真吾は仕方なく頷いた。こうなったメフィスト2世はてこでも動かないだろう。魔力抜きというのが不安だったが、命じる側としての自分の立場を必要以上に使いたくなかった。命令すれば止めるだろうし、力づくでこの場をおさめろと言えばそうするだろう。だがメフィスト2世に対してそんな態度はできるだけ取りたくないのだ。
 だって僕たちは主人と下僕じゃなく、友達なんだから。
 楽観することにした真吾は、喧嘩の行方を見守るべく後ろに下がった。
 まだ子供の部類に入るとはいえメフィスト2世は悪魔の中でも最上位クラス、確かに強かった。正攻法ではどんな手を使っても四人の少年に勝ち目はない。だから真吾は、ほんの数分後の自分が驚愕に目を見開くことになるとは思ってもみなかったのだ。どんなルールのもとで戦おうと、メフィスト2世が負けるなんてあり得ないはずだった。
 僕は疑問に思うべきだったんだ。

 はじめはメフィスト2世が優勢だった。二本角の少年が繰り出す拳を後ろに飛びずさりながら手のひらで受け止め威力を殺し、不敵に笑っている。円の内側ぎりぎりでターンすると、砂を蹴散らしながら一直線に相手の胸元へ飛び込む。二本角の少年は際どいところで身体を傾け、メフィスト2世の突撃をやり過ごす。
 それでも真吾は不安だった。
 なぜこの悪魔の少年たちはメフィスト2世の圧倒的な力を前に全く動じることなく勝負を挑んできたんだろう。
「でかい口を叩いた割には大人しいじゃないか」
 メフィスト2世の挑発にも乗る様子はなく、少年たちは薄ら笑いを浮かべている。
 どうして防戦一方なんだ?
 メフィスト2世はときどきわざと隙を見せている、なのにあの二本角の少年は不自然なほどそれを無視し、まったく乗ってこない。まるで……そうだ、まるで、なにかを待っているみたいだ。
 真吾は冷静に状況を整理しようとゆるく目を閉じた。
 この町では魔力はご法度。どうしてだろう? この小さな町、好戦的な悪魔の少年たち、基本的に争いを好む悪魔が跋扈するこの辺境の地で、なぜ魔力を使っちゃだめなんだ? 使うといったいどうなる? ついさっき、メフィスト2世は氷の魔力を地面に叩きつけた、でもなにも起こらなかった。いや、違う。
 真吾は苦々しい思いで付け加えた。
 なにも起こらなかった。魔力を使った直後、すぐには。
 喉元まで不安が一気に駆け上がり、真吾ははっと目を開けて叫んだ。
「気をつけろ、なにか――」
 そのとき、地面が割れた。


26話へ  戻る  28話へ
2008/05/01

身も蓋もない言い方をすると子供の喧嘩です。例によって趣味に走りまくってます。メフィスト2世と一緒にこういう冒険してる悪魔くんって大好きです! 親友としてのメフィスト2世、第一使徒としてのメフィスト2世、微妙な関係に悩んじゃったりする真吾くんって愛しいです。燃えますよね! 悪魔くんのユートピアってなんじゃーって悩んだり花粉にやられたり最近いろいろでした! なんとなーくマイ解釈のユートピアが見えてきたような気がするのでこないだメモに書きとめときました。