ユートピア「17話 悪魔の子守唄」


 机でうたた寝をしている真吾に、メフィスト2世は目を伏せた。何て幼いんだろう、こんなに小さな子供だったろうか。東嶽大帝と死闘を繰り広げていたあの頃は、もっと大きく頼もしく見えた俺たち十二使徒の指揮官だったのに。たった半年離れていただけなのに、受ける印象は随分と変わった。俺たちはこんな子供を戦場に駆り立て、そして指示を仰いでいたのか。悪魔くんは極端なまでに温和な子供だったが、それでも最後までやり通した。今思うと、かなり無理をしていたのだと分かる。攻撃を指示する時のわずかに震える小さな肩や、きつく結んだ唇が青ざめている様子がまざまざとまるで昨日のことのように蘇り、メフィスト2世はやり切れない気持ちになった。どうしてあの時気づいてやれなかったんだろう。今の悪魔くんを見てみろ。この状況はある意味あの頃よりもっとひどい。わざわざ確認してみたことはないが間違いなく性善説を支持しているであろう悪魔くんは、すっかりしょげかえっている。
 たいした助言はできなかったが、それでも聡明な悪魔くんは俺の意図を汲み取り、嬉しそうに笑った。相変わらず可哀想なくらいいい子だ。たまには八つ当たりの一つや二つ、人間ならしてもいいんだぜ。ましてや悪魔くんはまだガキだろ。

 仲間たちが悪魔くんに指示を仰ぎ、頼るたび、メフィスト2世は叫びたくなった。もういい、止めろ。しばらくそっとしておいてやれ。人間がどんなに馬鹿な真似をしようが、知ったことじゃない。遅かれ早かれ問題は必ず起きるし、何があろうと世界は回り続ける。どんなに悪い敵とやらを倒そうと、生きとし生けるもの全てが大人しく平和に暮らし続けるわけがないじゃないか、悪魔くんだって分かっていたはずだ。なのにどうしてわざわざ必要以上に自分を痛めつけるんだ、もっと賢いはずだろ。

 俺の助言には説得力なんて欠片も無かったかもしれないが、今の悪魔くんにとって真実らしく響けばそれでいい。
 俺は友人として上手くやっているだろうか? 第一使徒としてはどうだ? 俺なりのやり方で友情を示し、使命を果たしてきたつもりだったが、常に最善であったとはいえない。悪魔くんよりかはずっと年上だが、俺もまだガキなんだろうな。
 ためらうことなく友と呼べる者ができたのは初めてかもしれないなとメフィスト2世は思う。人間の子供で、しかも救世主か。慣れないうちはおかしな感じがしたが、この友情って奴も悪くはない。何だかむずむずして妙な気持ちになるが、悪魔くんはいい子だしな。

 くそ、それにしてもつくづく厄介な敵だ。東嶽大帝のように圧倒的な力があるわけでもないのに、一筋縄ではいかない、対処に困る奴らだ。どんな手で攻撃を仕掛けてくるのか検討もつかない上、総大将である悪魔くんはまだ迷っている。悪魔くんの指示には従うが、この前の戦闘のように俺の目から見ても指揮に迷いがある時はどうする? 悪魔くんが自分で気づくまで放っておくべきか、命令に背いてでも止めるべきか。くそ、俺だって迷ってるしわかんねえよ。

 メフィスト2世は深々とため息をついた。埋れ木真吾は俺の友で、そして仲間だ。救世主なんて肩書きは一番最後だ、だから背負い過ぎるなよ、悪魔くん。
 何があろうと俺は死ぬつもりはないし、悪魔くんも絶対に死なせやしない。メフィスト2世は無意識のうちに拳に力を込めた。

 子供らしい深い眠りへ、せめて夢の中だけでも安らげるように。できることなら魔法をかけてやりたい。机にうつ伏せになったまま眠っている真吾に、メフィスト2世はそっとステッキをかざした。これは魔力でもなんでもなかった。メフィスト2世はただ祈った。悪魔の俺が祈るなんてなと心の中で笑いながら、それでもメフィスト2世は真剣だった。魔力をかけてひと時の苦痛のない夢を見せてやることもできたが、すんでのところで思いとどまった。俺がどれほど気に病もうとも悪魔くんは自分の壁を乗り越えるべきで、悪魔くん自身もそう願っているからだ。

 蛍のような淡い光がステッキの先に灯り、真吾の身体が宙に浮いた。ベッドに寝かしつけてやってから、ふと子守唄でも歌ってやろうかと思う。幼い寝顔は悲しいまでに儚くて、赤子のように愛らしかった。親鳥になった気分だなとメフィスト2世は思いながら、そして百目が眠っているのをしっかりと確認してから、記憶の底から懐かしい歌を探した。この歌は清らかで優しいメシアにはふさわしくないかもしれないが、それでも俺が知っている中では一番マシだと思うぜ。
 ベッドの脇に片膝をつき、うろ覚えの歌を口ずさんでいると、気のせいか真吾の表情が和らいだ気がした。


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2008/01/01

あけましておめでとございます!
こんなメフィスト2世も好きなのでした。ちょっと大人の目線で悪魔くんを支えてあげる使徒たちっていうのもツボです! 私の妄想内ではドイツ語で歌っているメフィスト2世。低い声でささやくように歌うメフィスト2世って想像するとかなりかっこいい! ドイツっていいなあってことでまた新たに妄想中。