ユートピア「15話 夢と現実」 ユルグ、妖虎、鳥乙女を帰し、何かいいたそうなメフィスト2世から目を逸らし、真吾は黙々と宿題を済ませる。食欲のわかない胃に無理やり夕飯を詰め込み、身体がふやけるほど湯船に浸かった。メフィスト2世と百目が一度に入ろうとしたせいで湯はほとんどなくなっていた。後でエツ子に文句をいわれるな。何の気なしに顔を上げるとガラス越しにぼんやり月が見えた。少し欠けていて、満月というにはまだ足りない。今の僕みたいだ。 ベッドの上に大の字になり、ひとつ、ふたつ、みっつ、真吾は見慣れた天井の節を数えた。目を閉じたらすぐに眠りに落ちてしまうだろうと分かっていたから、真吾はくっつきそうになる両の瞼に力をこめる。そして考えた。そうせずにはいられなかった。 今まで僕がしてきたことは一体何だったんだろう。誰もが幸せに暮らせる理想郷を目指していたはずなのに、なのになぜ中途半端な状態で僕と十二使徒は別れなければならなかったのか。世界を支配しようとしていた東嶽大帝を倒し、大きな障害は消えたはずだ。これからという時に、僕は十二使徒と別れ、ソロモンの笛を手放した。なぜ、僕はただの子供に戻ったんだ? 真吾は呟いた。 「ファウスト博士だ」 そうだ、ファウスト博士がそういったからだ。それぞれの故郷に戻り、各々使命を果たせと。 「でも、なぜそうする必要があったんだろう?」 今の真吾にはその答えがよく分かっていた。考えがまとまりかけたところで、真吾は眠りに落ちた。 吹きすさぶ冷気に凍えながら目を開けると、荒涼とした地が広がっていた。身にまとっているのは薄いパジャマのみ、裸足だった。 「メフィスト2世! 百目!」 叫んでみたものの、真吾は一人ぼっちだった。無機質な不毛の地がどこまでも続く中、おぼつかない足取りで歩き始める。ごつごつした岩肌が柔らかい土踏まずを傷つけたが、痛みには慣れっこだった。痛みよりも怖いのは孤独だ。真吾は孤独の概念をこれ以上ないくらいよく理解していた。たった一人で研究に没頭した幼子の頃、十二使徒との別離、真吾の心に刻み込まれた孤独の記憶はいまだ生々しい。時折ひょいと顔を覗かせては真吾をはっとさせた。 「こんにちは、埋れ木真吾くん。いや、悪魔くんと呼んだほうがいいか」 どこからともなく聞こえてきた声に、真吾は辺りを見回した。厚ぼったい雲が空を覆いつくし、一筋の光も差さない冷たい大地が果てしなく広がっている。 「誰だ」 反射的に問いかけては見たものの、分かっていた。あの逆五芒星の男だ。 「どうやら君は、私の敵のようだな。昼間はゆっくり話す時間がなかったものでね、こうして夢の中にお邪魔したわけさ」 くそ、僕の名前は魔の世界で知られすぎている、悪魔くんとしての僕の手の内は筒抜けなんだ。なのに僕は奴らのことを全くといっていいほど知らないし、知る術もない。 「聞いてくれ。僕は誰とも戦いたくないんだ。こんなこと馬鹿げてるよ。今からでも遅くないから、みんなから奪った魂を返してほしいんだ」 吹きすさぶ風の中、真吾は精一杯声を張り上げたが男からは何の反応もなかった。これは夢だ。ただの夢のはずなのに、心も身体も凍えてしまいそうだった。夢と現実の明確な違いは、その境目はどこだろう? ずっと追いかけてきたはずの僕の夢はどこに行ってしまったんだ? いつの間にか指のあいだをすり抜けて遠くへ消えてしまった。何を差し置いてでも全力でその夢を胸に抱き続けるべきだったのに、今は自分がなにを望んでいるのかすらよく分からなくなってしまった。ごめんね十二使徒、僕の仲間たち。 無言のままの男にしびれを切らし、真吾は再び呼びかけてみた。 「ねえ、聞いてるの?」 聞いているとも。抑揚のない低い声が四方八方から聞こえてきた。 「本来なら私は悪魔くんの意識に入り込めるはずはなかった。なのにこうしていられるのは君の心に迷いがあったからだよ。逆に私が説得しようか。君は普通の子供に戻ったほうがいい、今からでも遅くはない。この世界は君の手には負えないよ。救世主としての重責に押し潰されそうになっているんじゃないのか? 君はこの世界が自分の理想と合わないから変えようとしているんだろう。君のしていることは私と同じだ。君に私を止める資格と覚悟があるのか? 可哀想だけど邪魔をするなら、それなりの対応をさせてもらう。だから気をつけるといい、日常生活には危険がたくさん潜んでいるからね、いつどこで何が起こるか分からない」 真吾は黙って男の言葉を聞いていた。 僕はなぜ反論しないんだ? もしかしたら僕は心の奥底で、この男の指摘そのままの迷いを抱えているんじゃないのか? でなければこの男の言葉を、僕はためらわず否定できるはずだ。 「……違う」 やっとのことで真吾は呟いた。我ながら弱々しい、覇気に欠けた声だ。僕は怒らなきゃならない。少なくとも、ゲームみたいに簡単に人を傷つけるお前なんかとは違うって。なのに今はそれがひどく難しい。本当に最近の僕は情けないな。 鋭利な刃物のような突風が真吾を襲った。とっさに両腕で頭を抱える。真吾の薄い皮膚が切り裂かれ、幾筋もの赤い線が走った。腕を伝う血の感触がやけに生々しかった。足元の地面が割れ、瞬く間に崩れて行く。僕は落ちて行く。闇の中へ、深い裂け目の中に。 僕は十二使徒と共に巨大な悪を倒した。だけど、みんないつまでも幸せに暮らしました、めでたしめでたし、それでおしまいのおとぎ話のようにはいかないのだ。僕はもう引き返せないところまで闇の世界にどっぷりと身を浸している、今さら別の道なんて選べないんだ。そう思ったところで目が覚めた。 14話へ 戻る 16話へ 2007/12/17 東嶽大帝と戦っていた頃も「悪魔くん」って有名だったけど、倒した後は更に名前が知られるようになったんじゃないかな、なんて思った! 何だか、一種の伝説みたいに有名になった悪魔くんのその後って燃える。そして相変わらず理屈っぽい流れだ! |