「東方の神童」


 真吾が三歳の時のことだ。
 父の仕事部屋で薄汚れた箱を見つけた。ジグソーパズルだった。千ピースだったか、二千ピースだったか、よく覚えていない。箱を抱えてよちよちと歩いてきた真吾を、両親はおいでおいでと手招きした。導かれるまま真吾は幼児特有の甲高い声を上げながら居間に転がり込む。エツ子をあやしながら微笑みあっている両親の隣で、真吾はものの十数分程度でそれを完成させた。人形のような手が素早く動き、その小さな手はほとんど止まることなく、ただひたすら欠けた図面を組み立てることに集中した。最初は穏やかに真吾を見守っていてくれた両親の顔が次第に曇り、不安そうな表情になったのを真吾はよく覚えている。僕は普通とは違う、はじめてそう感じた時の孤独と切なさも。

 四歳の時、真吾はたどたどしい筆跡で父に貰ったノートを埋め尽くした。中身はたいしたことはない。ただの図面と覚書だ。一週間程度で使い切った。真吾はその時すでに、世界の全てのものには法則があり、それらは図形と数式で表すことができると知っていた。大地を表す記号、大気を表す数式、空を埋め尽くす鳥たちはどこから来てどこに行くのか、などなど。誰に教わったわけでもない、だが真吾には分かるのだ。
「おかあさん、おとうさん、これ見てよ! ぼくが考えたんだ。この数式に当てはめるとね、簡単にわかるんだよ。あの雀がどれくらいの速さで飛ぶのか、どんな風に翼を広げるのか。ねえ、すごいでしょ!」
 はじめのうちこそ自分の発見が嬉しくて無邪気に披露していた真吾だったが、次第に奇異の目で見られ始めたのを感じ取り、それ以来たった一人の孤独な探索に没頭することとなる。真吾の探求を理解できる者など周りにいなかったし、異端児扱いされるよりは一人のほうがまだ気楽だった。

 小学校に上がった時にはもう、真吾は今後の身の振り方を決めていた。
 目立たないほうがいい、分かりきっている答えでも迷っている振りをするんだ、きっとその方が僕のためだ。僕だけにしかできない何かがあるはずだ。自分が何を求めているのか分かるまで、その時まで僕は沈黙のうちに学ぶことにしよう。数学、物理、歴史、地理、ありとあらゆる学問に没頭したが、ある日とうとう運命の出会いを果たした。きっかけは単純だった。真吾が八歳の時だ。当時近所に住んでいた遊び友達が、その頃はまだ隠しきれていなかった真吾の異様な頭脳に対して子供らしい率直な感想を述べたのだ。悪魔みたいで格好いいと。いや、魔法使いだったかな? あの頃はよくあり合わせの材料でおもちゃを作り、それをその子に上げていたからだろう。友達の目が感嘆と興奮ではちきれんばかりになるのを見るのが真吾は好きだったのだ。少し得意でもあった。その何気ない一言に真吾は興味を覚えた。魔術か。悪くはないな、面白いかもしれない。大衆に受け入れられることのない神秘的でほの暗い知の輝きに、瞬く間に真吾は魅せられた。この闇の輝きはきっと僕の探究心を満足させてくれるに違いない。真吾は決意した。
 いつの日か、悪魔メフィストを呼び出そう。彼と契約を結び、そしてあらゆる未知の世界を探求するんだ。学び甲斐のない地上の学問には、僕もう飽きちゃったよ。円陣を描き、一つ一つの数字と記号に意味をもたせ、僕は深い闇の底から悪魔を召喚する。僕を底なしの孤独から救い出してくれる者を、僕の知らない知識をもたらしてくれる存在を。ただそれだけの私的な理由のために僕は悪魔を使役するんだ。何て危険で恐ろしく、そして魅惑的なんだろう。真吾は時々こう考えては恐怖を感じていた。僕は神に背き、悪魔の力を求める邪悪な子供なのかもしれない。僕はいつか、世界と敵対するのかもしれないと。

 いいこともあった。貧太くんという親友ができた。僕を気味悪がったりしなかったし、一緒に悪魔召喚の実験をしてくれた。彼にとっては想像力をフルに使った子供らしい遊びの一つで、実際に悪魔を呼べるだなんて思ってもみなかったかもしれないけれど、それでも僕は嬉しかった。貧太くんは今でも僕の親友だ。
 百二十四回目の実験が失敗したあの日、真吾はついに自分の運命を知ることとなる。
 やっと分かったよ、僕はこのために生まれてきたんだ。もどかしい思いであらゆる知識を貪り尽くしてきたのはこのためだったんだね。結局メフィストとは契約できなかったけれど、代わりにもっともっと大切なものを手に入れた。仮に神がいるとして、僕はその神に愛されてはいないかもしれないけれど、それでも世界の敵じゃなかった。それならいいんだ。僕はそれが分かっただけで満足だよ。僕が本当に恐れていたのは神でも悪魔でもない、僕自身だったんだから。これからは本当の僕を愛してくれる悪魔と僕自身を信じるよ。


 回想を断ち切り、真吾はゆるく伏せていた瞳を開けた。宙に浮かんだまま大きく伸びをしているメフィスト2世と視線がかち合った。
「どうした、悪魔くん」
「思い出していたんだ」
「何をだよ」
 どうすれば僕のこの感動を、かつて僕を苦しめ続けた耐えがたい孤独を、切実な知への欲求を伝えられる? 少し悩んでから、真吾はただ一言に思いを込めて答えた。
「君たちに会えてよかったってことをだよ」


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2007/11/20

アニメ悪魔くんのストーリーが始まる前の、真吾くんの幼少期をいろいろ妄想しました! 想像してたら真吾くんがめちゃくちゃ愛しくなってきた。どうなんだろう、アニメ真吾くんもこんな感じで本当はすごい神童なんでしょうか? その設定で考えるとなんだか今までとはちょっと違った目で悪魔くんを見てしまいます。ちっちゃくて可愛い悪魔くんを妄想してみたら、しばらくひみつの花園から戻れませんでしたがなんとか帰還を果たしました! 長編がちょっと止まってたというのもあってか、ちょっと違う視点の(私としてはハッピーエンドな)悪魔くんのサイドストーリーを妄想できて楽しかったです!