墓場鬼太郎アニメ感想 気ままに書いたり書かなかったり! 一話 水木視点で物語は進んでいく。原作とほぼ同じだ。身体を持っていた頃の目玉の親父を一度映像としてみてしまうと、慣れ親しんだ目玉だけの姿は切なく感じる。鬼太郎を守り、育ててあげられる身体のまま生き続けたかっただろうなと思うと悲しくなるけれど、そんなことを感じさせないくらい目玉の親父の懐は大きい。鬼太郎はただの一度も両親の腕に抱かれたことがないんだと思うとたまらなくなる。 水木は不気味な隣家の夫婦と距離を置こうとする。ある日ふと気になって立ち寄ってみると夫婦はすでに死んでいた。哀れに思った水木は墓を立ててやり、寒さに襟を立てながら足早にその場を立ち去ろうとする。そんな水木の足を止めたのは、悲痛な赤子の泣き声だった。 恐怖にかっと目を見開き脂汗を流す水木の背後で、卒塔婆が倒れる乾いた音が響く。まだ柔らかい湿った墓土を突き破り、まず左手、それから右手が現れる。生まれたばかりとは思えない力の強さで墓の底から這い上がってきた赤ん坊は、この時点ではまだ名前すらない。のちに、目玉だけの姿になりながらも我が子のもとへ急いだ父によって鬼太郎と名づけられることとなる。恐怖と混乱に支配された水木は赤子を地面へ投げつけ、赤子は片目を失った。赤子の悲鳴に応えるように地蔵菩薩は血の涙を流し、雨脚はますます強くなる。 冷静になった水木は鬼太郎を可哀そうに思い養子にする。 月日は流れ、鬼太郎は人間の子供に交じって小学校に通っている。トレードマークのちゃんちゃんこと下駄、そしてなぜか帽子を着用している。同じ年頃の子どもたちからは不気味がられているようだ。しかし鬼太郎は気にしていないどころか人間自体に興味がない様子。ところで小学校では水木鬼太郎と便宜上名乗っているのだろうか。水木も自分で鬼太郎の父親だといっていたことだし。背広姿のごく普通の人間が自らを鬼太郎の父親だといっている姿はなんだか新鮮というか不思議な感じだ。 鬼太郎には悪意はまったくないのだろうが、ちょっとした説明の不足やら価値観の違いやらで結果的に育ての親を地獄へ落とすこととなる。義理の父親と祖母に不幸をもたらし、カラコロと下駄の音を響かせ去っていく。と書こうと思ったが、カラコロというより、さくさくという音だった。現代版鬼太郎と違い、コンクリートではなく土の上を歩くことが多いからだろう。 「とうさん。人間ってちょっと、おもしろい生き物ですね」 なにはともあれ、鬼太郎は人間に興味を持った。 二話 冒頭の吸血シーンはさすが深夜枠だけあってどきりとした。こういう鬼太郎も見られてうれしい。今まで育ててくれた養父はちょっとした手違いで地獄に行ってしまったため、鬼太郎はお金の大切さを知ることとなる。住み慣れた家を追い出された鬼太郎は道すがらねずみ男と出会う。腐れ縁のはじまりだ。笑いながら近づくねずみ男に鬼太郎は、 「どうして笑うんですか」 とむすっとした顔で尋ねる。 「君を賛美しているのさ、鬼太郎くん」 片目をつむり、気取ったポーズでこたえるねずみ男だが鬼太郎は気に入らなかったらしく、 「虫の好かないやつだなあ。とうさん、こいつ殴っていいですか?」 と、なかなか好戦的なことをいう。まあ待て、と軽く父親に止められ、素直に引き下がる鬼太郎はかわいい。生まれたばかりの時点ですでにかなりの腕力があったわけだから、毛針等が使えなくとも普通の人間よりは強いのかもしれない。ねずみ男と比較するとどうだか分からない。思うのは、この鬼太郎は本当に子供子供しているなあということだ。 夜叉の術に囚われた鬼太郎と吸血鬼の味方についたねずみ男だったが、鬼太郎はまだ実年齢と外見年齢がイコールの子供なので戦闘はできないようだ。戦闘に参加どころか観戦すらしていない。髪の毛針も霊毛ちゃんちゃんこもリモコン下駄も使えず、悪態をつき攻撃的で生意気だけれどどこか憎めない、不思議な魅力がある鬼太郎だ。 水木の勤める会社の社長に助けられ、鬼太郎は夜叉の術から抜けだす。夜叉と吸血鬼はこの年配の社長の血をめぐって闘っていたわけだが、社長は鬼太郎を連れて車でさっさと逃げ出してしまう。 鬼太郎によって地獄に導かれた社長は、水木に見送られ死出の旅にでる。水木は怒りに声を震わせ義理の息子に詰め寄る。 「お前は知るまい。あれからおれがどんなに苦しんだか」 「地獄行きの切符を勝手に持ってったのはそっちでしょう」 「黙れ! とにかく、なんとかしろ!」 種族が違うからというのもあるだろうし、鬼太郎はまだ幼いのでこのあたりは仕方ないかもしれない。 「いいでしょう。鬼太郎を育ててもらった恩もあるし、人間世界へ送ってあげましょう」 目玉の親父の言葉に水木と一緒にわたしもほっとしてみた。 「とうさん! お金です!」 人間世界に戻った鬼太郎は空から落ちてくる現金におおはしゃぎだ。炎上する社長の車の前でせっせと現金を拾いはじめる。しかし最後の最後でねずみ男に金を奪われてしまい、唖然とするのであった。ねずみ男の気配にも気付けず、戦えず、生意気な鬼太郎というのもかわいい。 そういえば水木は一話では「僕」といっていたと思うが、今回は「俺」だった。個人的に「僕」のほうが好きだ。 地獄にいる間、水木には考える時間がたっぷりあった。水木の脳裏に繰り返し蘇り、悩ませていたのはやはり鬼太郎だったろう。なんだかんだいっても人のいい水木である、幽霊の子とはいえ自分が育てた子供に多少は愛着があったのではないかと思う。その子供のせいで生きながら地獄をさまよっている間、水木の心にあったのは怒りか復讐か、人間の心がまだ理解できない子供に対する憐みか、諦めか、上手く人間の心の機微を教えてやることができなかった自分自身への後悔か。 四話 「美しい朝には美しい歌声が欠かせない」 階下からきこえてくる寝子の歌声にうっとりしている鬼太郎と、そんな息子のためにドブネズミ弁当を作る目玉の親父、そして、「ぼんやりしていると、学校に遅れるぞ」ネクタイを締めながら律儀に声をかける水木。なんともシュールである。悪意はなかったにせよ義理の息子のせいで地獄で休暇を取る羽目になった水木だが、無事生還したのちもまだ育ててあげているとはおもしろい。わたしは人間でありながら鬼太郎の義理の父親となった水木が好きだ。共に暮らしていたほうが恐怖もやわらぐと言うが、それだけではなく鬼太郎とはやはりなにか縁があるんじゃないかと思う。金銭面での打算があったとはいえ再び養父と暮らすことを選んだ鬼太郎というのも興味深い。 寝子を慰めるため秘密を打ち明けた鬼太郎に、寝子は、 「水木さんは? お父さんじゃないの?」 と尋ねるが、それに対する鬼太郎の答えは、 「あれはただの金ずる……いや、持ちつ持たれつ、いろいろと……」 である。水木が聞いたら怒るかあきれるか、鬼太郎らしいと笑うか。勝手に妄想させて頂くと、これは子供らしい一種の反抗みたいなもので、養父である水木に対する甘えやある種の親近感を持っているからこその言動だと思う。 この回は寝子が中心なのについつい水木を語ってしまう。 ねずみ男の策略にはまった寝子は鬼太郎を罵倒する。冷静になった寝子は鬼太郎に謝罪しようとするが、偽物の鬼太郎に川に落とされてしまう。必死に後を追う本物の鬼太郎だったが、自分は金槌であるという致命的な事実に飛び込んだ後で気づき、そのまま溺れてしまう。偶然通りかかった水木はスーツのまま飛び込み、鬼太郎を助けだす。なんとも男前だ。まさかここで水木が登場し、命の危険を顧みず助けるとは思ってもみなかったので驚いた。自分の人生を乱した厄介者、恐怖の対象でもあったはずの少年、鬼太郎を助けるためなぜ水木はとっさに飛び込んだのだろう。鬼太郎親子と水木、彼らなりのやり方で少し変わった家族関係を築いてきたのかもしれないと想像してしまった。 戻る |